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小寄道さま

 投稿者:sekko  投稿日:2017年10月15日(日)00時51分45秒
  >>>ご友人は、ロレンソに心酔されている方なのでしょうね<<<

いえ、ご家族に片目失明者がいらっしゃって差別に抗議なさっている方です。信仰を持っていらっしゃる方だということもあって、エールを送るため、ロレンソのようなすごい人のことを知ってほしかったのです。

三つの疑問、

1.宣教師乃至司教によっては、ポルトガル貿易商人と連携することによって布教活動を円滑にした事例がある。
2.切支丹禁止令後、3代家光の時代初期まではそれほど厳しい取り締まりはなかった。が、九州地区でキリシタン信徒による仏教徒への差別、弾圧があった。それを契機に幕府の締め付けが強化され、島原の乱へと発展した。
3.切支丹大名のなかには、ポルトガル貿易の有利および藩富裕化のために(つまり便宜上)回心した大名がいた。

などですが、どれも一つ一つとしては事実です。
ポルトガル人がもたらした「種子島」の銃器が戦国の戦いの趨勢を変えたように、戦国から安土桃山、江戸初期においては、宣教、政治、軍事、経済がみな有機的に連関しています。

その一つ一つを恣意的に並べるとどんな「陰謀論」でも書けますし、とても複合的なので、そういうことに入り込まないように、ロレンソという傑出した日本人にスポットライトを当てて、初期に改宗した大名や知識人について書きました。
私の伝えたかったのは、今の時代に言われているような、キリスト教は舶来宗教で帝国主義的で日本の風土に合わない云々というような安易な言説を離れて、当時の日本人がいかに「論理」を重んじたのか、その結果改宗したのかという意外性を紹介しました。

もちろんその論理性は、合理性、実利主義にもつながり、権力者の思惑が変わっていったのも理解できます。

古代ギリシャの錚々たる知識人たちが結局キリスト教に改宗されていく不思議と同じですが、その後の展開は変わっていきました。

>>修道会の方も、商社なみのノルマのような縛りが、布教活動にもあったのではないか<<

これは私の知る限りはありません。
彼らの社会は記録社会で膨大な往復書簡が残されていますが、そういうマーケティング発想はなかったようで、あったのは人類学的、民俗学的発想でデータの集積というのは注目されています。
宣教の最前線にいた宣教師たちはむしろ本気で、殉教を意識していました。今の某宗教過激派のジハディストたちと変わらない熱烈な手紙に驚きます。
というか、某宗教もそうでしょうが、そういうタイプの人たちだけが使命感に駆られて出て行ったんでしょうね。
もう16、17世紀ですから、その後のプロテスタントのオランダ人と同じく、たいていの修道士はけっこう現実的だったと思います。日本に関していえばやはり特徴は異文化、エキゾティスムの憧れは昔も今も根強いような…。
ユーラシア大陸の東の果ての島国って立ち位置が、よくもわるくも、ほんとに特別だなあ、と日本を離れて暮らす私も思います。

http://www.setukotakeshita.com/

 
 

Sekkoさま

 投稿者:小寄道  投稿日:2017年10月14日(土)22時25分43秒
  ⇒ それでも「片目の聖徒」を残したのは、「片目失明者友の会」を支援している友人へのメッセージを込めたかったからです。

ブログに再録されたイルマン・ロレンソのエピソードを拝読しました。やはり、なにか特別のご事情があったのですね。若干、あのロレンソあたりの箇所が文脈からして、筆致が変化したように思いました。
上記の「片目失明者友の会」のご友人は、ロレンソに心酔されている方なのでしょうね。

当時は、布教がそれほど軋轢のない時代だったとはいえ、山田庄左衛門、結城忠正、清原外記らのキーパーソン、それも名うての仏教知識人を回心させたのですから、ロレンソのキリスト教の知識はもちろん、仏教、禅宗の僧ほどの教養をもっていたんですね。これはこれで興味深いエピソードでした。

ただ、ご著書の第4章「宣教師たちのキリスト教」のところでは、2,3の疑問を抱えながら読んだことをご報告します。

1.宣教師乃至司教によっては、ポルトガル貿易商人と連携することによって布教活動を円滑にした事例がある。
2.切支丹禁止令後、3代家光の時代初期まではそれほど厳しい取り締まりはなかった。が、九州地区でキリシタン信徒による仏教徒への差別、弾圧があった。それを契機に幕府の締め付けが強化され、島原の乱へと発展した。
3.切支丹大名のなかには、ポルトガル貿易の有利および藩富裕化のために(つまり便宜上)回心した大名がいた。

以上のことがらは、図書館で借りた山本博文氏「殉教」という新書(光文社?)で書かれていたことです。これら要因がかさなって、実質的な鎖国に至ったのであると書かれていました。
家光の過酷な弾圧も、庶民を檀家制度で管理していた寺・神社に対して切支丹教徒が反乱を起こした。それが家光の逆鱗にふれたのだ、と。オランダを選んだのも、貿易が「布教」とセットでないことが一番の理由から。
また、修道会の方も、商社なみのノルマのような縛りが、布教活動にもあったのではないかと、山本氏の著書に書かれていました。当時、東大の史料編纂所の教授でしたから、一級資料を読み込み、それなりの裏付けがある新説であると理解しましたが・・。どう、思われます?

以上、「殉教」が手元にないので確認できませんが、その史実(?)に強く印象に残っています。参考までにということで、コメントに書き置きます。

 

Sekkoさま

 投稿者:小寄道  投稿日:2017年10月14日(土)01時52分55秒
  僭越ながら、私も「キリスト教は『宗教』ではない」の感想をブログに書きました。お暇な時にご高覧ください。(小寄道:http://blog.goo.ne.jp/koyorin55
相当な知の刺激を受けました。その影響下の熱で書いたゆえに、構文もぎくしゃくしているかもしれません。素人の論評ということでお目こぼしを。また、間違い、失礼なことが書かれていたとしたらご指摘ください。
ロレンソ了斎について殆ど知らなかったので、ご著書における彼のポジションがあまり理解できませんでした。隠れキリシタン史について、もう少し学ぶべきかもしれませんが・・。
 

ありがとうございます。

 投稿者:sekko  投稿日:2017年10月11日(水)18時05分36秒
  読者の感想、第一号です。感謝します。

私はネットで自分の本についてまったく検索しないので、こうしてご意見を頂けるのは貴重です。

出版社から新刊をフランスに送っていただく頃は次の本のことで忙しく、すぐに手に取ってみることはありません。でも、どなたかにこうして感想をいただいた後ではすぐに本をパラパラと読みます。それで、本当に読者とつながった気がします。
この新書は別のタイトルでキリスト教のガイドブックとして書き始めたのですが、途中で、キリスト教風に言うと突然聖霊が降りてきたというか、内容もタイトルも同時に「降りてきた」のです。
書かされたという感じでした。
カトリック雑誌にエッセイを連載しているのと、10/28,29のコンサートをカトリック真生会館で主催していただけることが決まっていたので多少は「まずいかな?」とも思いましたが、「聖霊」には勝てません。
ところが「キリスト教が分かる本」を依頼してくれていた編集者からは「護教的だ」と指摘を受けてしまいました。(幸い、理解してくださる編集者に恵まれ陽の目をみることができました。)

今は、神、金、革命の三つ巴が姿を変えては超越や普遍価値をいつも「偶像」に落とし込んでしまう人間性のメカニズムとそこからどうしたら抜け出せるかというテーマに取り組んでいます。

その方向で何か新しいネットワークが立ち上げられた時にはどうぞお声をおかけください。私にできることがあればお手伝いします。

10/21,24,25,28,29に日本でコンサートをします。場所と時間のご都合がつけばどうぞ。

http://www.setukotakeshita.com/

 

著書への感謝

 投稿者:グラ  投稿日:2017年10月11日(水)16時09分35秒
  竹下様
近著「キリスト教は『宗教』ではない」を拝読させていただきました。
時宜に適った好著だと思います。
その意味では、2017年は豊かな年だと思います。
5月に、経産省の若手官僚らが、プロジェクトを立ち上げ、「不安な個人、立ちすくむ国家」という提言を発表しました。ダウンロードは140万件を突破したそうです。
また、8月には、朝日新聞が「激動する世界と宗教」という連続シンポジウムを企画し、第1回「宗教と資本主義・国家」、第2回「宗教と暴力」が終わりました。第3回は来年3月を予定しております。

私は、こてこての「原理主義的な福音派」ですが、もはや、プロテスタント500年を記念する気力も喪失しておりました。私の認識では、日本の福音派は絶滅危惧種です。牧師の自己保身、信徒の自己満足が、教会の私物化をもたらし、是正も予防もできないくらいの制度疲労を起こしているようです。
しかし、これは現状を批判しているのではなく、そのようにしてしまった、私が所属する教会での、私の責任を感じているということです。どこで、道を間違えてしまったのだろうと思っております。
このままでは、信仰の継承も出来ないという危機感を持っております。
加藤典洋氏は、「敗戦後論」で、バトンを渡すのではなく、バトンは一旦置いて、それを拾い上げてくれるかどうかだ、という主旨のこと書いておりましたが、その意味でも、この「ご本」は参考になります。

この「ご本」から、新しいネットワークを構築出来たら、どんなに、日本の教会(カトリック・プロテスタントを問わず)にとって有益だろうと思います。
 

論文

 投稿者:sekko  投稿日:2017年10月 1日(日)03時29分42秒
  今はすべての大学(基本的に国立大学しかないので)の論文がネットで読めて、指導教官の名とテーマが分かっているので、探せると思いますが、ミンスクの文書にアクセスできなかった例として挙げられていたので探しませんでした。
文書の公開が楽しみです。インターネットは研究者の世界を劇的に変えました。後はリテラシーの問題です。

http://www.setukotakeshita.com/

 

Sekkoさま

 投稿者:小寄道  投稿日:2017年10月 1日(日)02時15分52秒
  ブログ上にて直にレスポンスしていただき感激です!
ほんとにフリーメイスンは秘密結社ではないのですね。欧米文化の一翼をつかさどる正統結社におもえてきました。

ニースの日本人研究者が気になります。研究成果は、何か論文で纏められているのでしょうか?

雑誌のサイトにアクセスしました。もちろん眺めるだけですが、コンテンツはきわめて正統ですね。編集者の矜持を感じさせます。そして、とてもフランス的です。

ありがとうございました。 あ、双Gには1週間まえに予約済です!
 

Sekkoさま

 投稿者:小寄道  投稿日:2017年 9月30日(土)14時00分37秒
  ミッシェル・セールは健在だったんですね。「社会契約」ではなく、地球と人間の共生にもとづく「自然契約」。きちんと読んでなかったこと、反省しきりです。

ところで。
フリーメイスンの雑誌、あるんですか。需要があるからでしょうけど、部数はどのくらいですか?

それにしても、旧ソ連のKGBが何ゆえに、フランス・フリーメースンの大量の文書を保管していたのでしょうか? その目的とは・・。なんかワクワクしてきました。スターリン政権下だから、資金関係の分析か? もう少し掘って下さることを希望します。では!
 

小寄道さま

 投稿者:sekko  投稿日:2017年 9月 9日(土)07時04分55秒
  いえ、おっしゃっていただいたからこそ追記もできましたから助かります。

私も確かにあのコラージュには驚いたのですが、ブログにも書きましたがそういうことも含めてフリーメイスンはオーストリアの観光資源のひとつなんだなあ、と思いました。少なくとも18世紀カルチャーの王道(王侯貴族が実際いたわけですから)のひとつであって、その後ナチスドイツに征服された反動で、ナチスに迫害されたメイスンの復権にますますコンプレックスがなくなったのかとも思います。

「西洋の学生の反応」と言われても、今の時代ですから、へえっと思った学生はネットで調べてどういうタイプの言説かすぐ分かるでしょうし、最初からサブカルに詳しい学生なら別にショックも受けないと思います。

それにすべての陰謀論とか終末論がそうなのですが、頭から信じてしまっている人は、いくら反証を挙げられても、矛盾を突かれても、真相を教えられても、動じないケースがほとんどです。

カリカチュアの対象になるような有名人はそんなレッテル貼りはいちいち気にしてられないでしょうし、実害はないと思います。

http://www.setukotakeshita.com/

 

誤解

 投稿者:小寄道  投稿日:2017年 9月 8日(金)22時15分57秒
  いやー、誤解でしたね。
「巷にあふれるいい加減な話をまず出してから真相に迫る」というコンセプトでしたか!

でも、国立図書館といえばアカデミズムの一翼を担っています。なぜ、そんな搦め手のような手順なのだろうか。

私の第一印象はこうです。
フリーメイスンの300年の歴史を回顧するような企画展であるから、多様な切り口で様々なディスプレーがある。
その一つとして、万人受けするようなカリカチュアで、あえてポップなコラージュも展示した。

「巷にあふれるいい加減な話」に、法王やドイツの元首に登場させるというメンタリティーは、日本人の私にはとても理解できません。
つまり、懐ふかいというか、興味本位だけでフリーメイスンを紹介しても、なにも動じることはないものだと、かん違いしてしまいました。

教えていただきたいのですが、フリーメイスンをあまり知らない西欧の学生がいたとして、この展示をみてどんな感想をもつと思いますか?
国立図書館がなぜ、観客の好奇心をかきたてフリーメイスンの歴史の真相に迫るのか。
やはり一般の人の認識の齟齬とか、意識の乖離があるのでしょうか。

『フリーメイスン』を読み終えたのですが、しっかり読んだとはいえなくなりました。他のご著書も読んで、それからブログなぞに書きたいと存じます。

たいへんご迷惑をおかけしました。
 

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