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シャルリー・エブド

 投稿者:sekko  投稿日:2017年12月16日(土)17時48分50秒
  あはは、「恋するシャンソン人形」、流行りましたね。今でも日本語で歌えちゃいます。

私にとって「ロック」はフランスの結婚式のパーティの後で、ベビーブーマーたちと一緒に踊る曲です。若い人だけになるとサルサだとかいろいろな曲になりますが、ベビーブーマー世代のフランス人はとにかくロックをペアで踊ります。ワルツやらタンゴもかかりますが、ロック率多し。私には何が何やら分かりませんが踊るのは好きなので結婚式の度に踊ってます。

ある種のロック歌手の「一貫した自己肯定感」というのはなるほどですね。少なくとも外野からは「教祖」みたいに見えます。ジョニー・アリディにはもっと「サービス精神」がありますね。だから広く受け入れられるのでしょう。

ジョニー関係の特集で一番楽しめたのは『シャルリー・エブド』でした。
ドルメッソンもジョニーも、保守政治家を支援していたエスタブリッシュメント側の人間ですから、権威を揶揄する『シャルリー・エブド』からはずっと笑い飛ばされてきました。

で、彼らはさっそくドルメッソンの特集を組もうと企画していたら、ジョニーが死んだので、ジョニーの特別記事に切り替えたと言います。
それは、2015年のシャルリー・エブド襲撃事件のすぐ後に、ジョニーが自分もそれまでさんざん揶揄されていたにもかかわらず、「私はシャルリー」のカードを持った写真と共にメッセージをすぐに広めてくれたことへの「返礼」だそうです。なるほど。

で、シャルリー・エブドから見たジョニーの葬儀に集まった人々の観察が2ページ見開きになったり、いろいろな記事がありました。もちろん追従記事ではないですが、リスペクトは感じられます。
突出して話題になったある現象に対してどう語るか、の観察としてはいろいろ興味深いでした。

シャルル・アズナブールは93歳かなんかで今も現役、全国ツアーのリサイタルです。舞台には疲れた時のために椅子が置いてあり、医師も待機しているそうですが、座らないとか。アルメニアからの難民出身のエネルギーはすごいですね。私も高校時代かなんかに『イザベル』の熱唱、というか叫びがラジオから聞こえてきたときにはたまげて、絶対に忘れられないインパクトがありました。

ジョニーに関しては、「無関心」だったのです。
「好き」の反対は「嫌い」ではなくて「無関心」だと言われますが、ジョニーを特に嫌いな人などあまりいなかったのかもしれません。付き合うと好かれる人柄だったのだと思います。
「無関心」な人は多かったと思いますが、無関心な人は別に声を挙げずにジョニー特集のTVのスイッチを切る、だけだったでしょう。

私は、ある事象に対しての語られ方や人々の反応自体に興味があるので、ある程度は目を通しましたが…。その文脈では映画は悪くなかったし、ジョニーって「普通のいい人」なんだろうなという感じはしましたね。まあ、あれほど「成功」して何十年も君臨する人たちというのはやはり特別のものがあるのでしょう。


http://www.setukotakeshita.com/

 
 

ジョニー・アリディ

 投稿者:小寄道  投稿日:2017年12月16日(土)11時47分4秒
  若い頃、日本でもフレンチポップが流行ったときがあります。ジョニー・アリディも日本に来て、いろんなプロモーションをやっていました。一部をのぞいて、まったく受けなかったと記憶しています。「恋するシャンソン人形」あたりがヒットする国だから、アリディ側もやる気をなくして退散したんでしょう。
それにしても、ジョニー・アリディの葬儀の凄さには圧倒されました。こちらでも、とっている東京新聞で紹介されましたが、BSでみた葬儀の模様はまさに国葬なみの盛大さでしたね。彼の人気が国民にあまれく浸透しているのだと、ちょっと意外な驚きをもちました。

私はロックを嫌いではありませんが、ジョニー・アリディには日本の矢沢栄吉や長淵剛のような匂いを感じますね。ここからは偏見に満ちていますので、場を荒らすようなことがあったら削除してください。
彼らのロックには、反骨精神やら権威に対する徹底したアンチな感情は確かにあります。もっといえば、エリートや知性をもこきおろすロック魂があると主張しています。それを支えるのは「愛」と「仲間」です。そして一貫した自己肯定感です。(正直書くと、彼らのロックはあまり聞いていません)

ジョニー・アリディが何を唄っているのか知りませんが、フランス語でロックを歌う彼のパフォーマンスにまったく魅了されませんでした。シャルル・アズナブールの方が小さくてブ男だったけど、凄く惹かれましたね、若いときの私は。

さて、竹下さんが今回の葬儀を冷やかに見ていたこと、それを読んで安心したというかホッとしましたね。フランスに住んでいると、誰もがジョニー・アリディにシンパシーを感じるのかと思っていたぐらいです。
それで、今日ブログを読み、「ジョニー・アリディと白人」というテーマを面白く読みました。お上のつくった権威やシステムには反抗するが、個性や家族、昔ながらのしきたり、よそ者は嫌いだが仕方ないけど条件付きで受けいれてやる寛容さはある、そんなフランスの白人層って、ジョニー・アリディのロックってしびれるほど共感するんじゃないですか?
まったく想像で書いているので、頓珍漢な論評ですが、矢沢栄吉的なロックが大嫌いなので、その匂いを感じさせるジョニー・アリディについて書いておきたかったんです。

私の好きなロッカーは、今は亡き忌野清志郎でした。同じ反体制でも、彼は反原発はじめ根源的なアンチテーゼを突きつけます。栄ちゃんはいい男だけど、義理堅いですから生計をささえる親方日の丸には何もいいません。そこん所ぐらいの差異しかありませんが・・大きい差です。
どうも60男の書くことじゃありませんが、ちょっとジョニー・アリディの葬儀について物申したくて・・。

それと、映画ですが、フランス人の白人からみれば、大予定調和が感じられるヘタレ映画に思うのですが、見ていないので、どうですかね。
乱筆、長文 失礼しました。
 

ナポレオンとミッテラン

 投稿者:sekko  投稿日:2017年11月26日(日)02時30分22秒
  そうですね。権力者は嫌いだけれど「権威」は好きっていうのはベースにあって、だから王権神授説があれほど有効だったんでしょうね。その権力者を引きずり降ろして「権威」をはぎ取って、そのもとにあったカトリック教会を「排除」したけれど、後は「権力」の暴走が起こったので、結局また「権威」をまとうことにしたのがナポレオンだったり、第五共和制だったりというところでしょうか。
マクロンがいまだに、外交の舞台としてエリゼ宮だのベルサイユ宮だのルーブル宮などを使い回していることについて、その「国威」を自分たちのもののように思って満足しているという点では、確かに「フランス人が権威をリスペクトする」のは分かります。
彼らは総論賛成、各論反対、というか、フランスの国威は好きだけれど、生身の権力者は嫌いなんですね。まあそれは健全だと思います。どんな国の独裁者もはじめは民衆の理想を体現していたのが自分を偶像化することに落ち着くようですから。
ミッテランもヴィシィ時代の闇から、社会党政権の初めの希望と改革、そしていつの間にかお飾りになってしまったのですが、事実上の権力を失ったからこそ「フランス伝説のひとつの落としどころ」になったのかもしれません。

ナポレオンについては青土社の『ナポレオンと神』に延々と書いたのでそちらをお読みください。

権力抜きで権威だけがリスペクトされたのがジャンヌ・ダルクと聖母マリア(ノートルダム)かもしれません。

ジャンヌ・ダルク、ルイ14世、ナポレオンという3人の怪物について独自の視点から書きたいというのが昔からの考えでしたが、まだルイ14世だけが残っています。

個人的には、権力も権威も敬して遠ざける、ようなスタンスなので私はやはり「日本人」なのでしょうね。

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書き忘れたこと

 投稿者:小寄道  投稿日:2017年11月26日(日)01時08分31秒
  「フランス革命のアイデンティティが国是なので、一般には権力者嫌い」は、そうだと私は思います。
ですが、革命後のナポレオン、あるいは権力者でなく徐々に権威者になったミッテランという人について、フランスの人はどうなのでしょうか。けっこう、好きというか、シンパシーを感じるひとはいませんか? その辺のところ教えてください。

権力と権威、これも一緒くたにした設問もどうかと思いますが・・。

お手を煩わせて申しわけありません。
 

粗忽ものゆえ、お許しください

 投稿者:小寄道  投稿日:2017年11月26日(日)00時50分17秒
  生来のおっちょこちょいで、勝手に勘違いしていました。
第三者が介在していたらしいことは分っていたんですが、詩織さんの目線で記事を書いたものだと思ってしまいました。
パリに行ってもいないんですね、詩織さんは。
なるほど、よーく分かりました。このライターは明らかに恣意的に「すてきなおじさん」を選んでいますね。

「市井でまっとうに生きている人」たちのなかには、権威をふりかざす人を、内心尊敬する人もいるでしょう。「そんな奴は、けっ!」と言って唾を吐く人もいる。「好きなこと、嫌いなこと」の違いを明確にすることを、私だって尊重すべしと思います。そんな多様性こそ尊重すべきだと言いましょうか・・。市井で尊敬に値する人には、なかなかお目にかかれない。それも現実です。

ともあれ、私の誤解ですので、詩織さんのエピソードについて竹下さんとの齟齬はブログに書ききれません。あしからず。
しかし、「権威や権力はより尊重されるべきか」という問いと、そのアンケート結果では、フランスと日本では正反対の結果がでています。これについては、日本人、日本文化について考えられる、論じられると思っています。
近いうちにということで、お願いします。
 

誤解を招いたかもしれません。

 投稿者:sekko  投稿日:2017年11月25日(土)23時06分9秒
  その本というのは私は読んでいないので何とも言えませんが、

>>あれだけ多くのパリジャンたちを眺めていても、「ふむっ」となるのは移民のおじさんたちばかりというのも非常に興味深い。彼らは深いしわに刻まれた年輪以上に想像を絶する歴史を抱えていたりする。若者おじさんでも、笑顔の奥で深い哀しみをたたえていたりする。彼女は取材相手に寄り添い、その眼はとてもあたたかい。受け入れて共感してもらえると、取材相手も心をほぐす。最後には「孫娘になったような気持ちで」おじさんに肩を抱いてもらう。<<

という「彼女」とは、著者であるインタビュアー・ライターで、『働く動物と』とか『達人観察図鑑』などを書いている方です。つまり、よくある有名人やスポットライトの当たった人でなく、市井の無名の達人の言葉に新鮮な真理を見出そうというタイプの方で、『パリのすてきなおじさん』もその延長にあるのでことはよく理解できます。でも、

「受け入れて共感してもらえると、取材相手も心をほぐす。最後には「孫娘になったような気持ちで」おじさんに肩を抱いてもらう。

という内容なのだったとしたら、そこになんとなく上から目線を私は感じたのです。有名人や権力者にインタビューするなら、こういう書き方にはならないだろうなあと。これは読者レビューなのでますますわかりにくいですが、相手が「目上」であれば、警戒心も働き、相手や読者に誤解もされないように「肩を抱いてもらう」ことなどしないだろうなあ、とも思います。

いや、ますますわかりにくいかもしれませんが、私のつっこみたくなったのは、「こんな人たち」にではなく、ましてや詩織さん(彼女がパリに行ったわけではない)がこの本煮取り上げられ人たちに共感したことではなく、このインタビュアーの描き方、見方、チョイス、タイトル(これは出版社の意向かもしれませんが)の方です。

詩織さんも「こんな人たち」に「優しいまなざしを向ける」という上から目線でなく、多様な価値観の共存とその言語化に共感したのだと思います。

もっとも、「脳内オヤジ」としての私の好みからいうと、詩織さんには「50歳のハゲのクスクス屋のおやじ、かたや92歳の競馬場通いのおじいさん」よりも、弱者のために戦う男たちと連帯してほしいし、肩を抱いてくる権力者たちはばったばったとなぎ倒してほしいですけれどね。

もっともこの本で「50歳のハゲのクスクス屋のおやじ、かたや92歳の競馬場通いのおじいさん」などの「こんな人たち」が日本人だったのなら「すてきなおじさん」としてインタビューしてもらえたのかどうかは疑問ですが。

こんなことを書いたら、私はエリートばかりとつき合っているので「市井でまっとうに生きている人」に対してそれこそ「上から目線」なのだ、と誤解されそうですが、そんなことはありません。肩を抱いてほしいとは思いませんが、もし無理やり肩を抱かれるシーンに遭遇するなら、権力者に肩を抱かれるよりはましだろうと思いますけれど。

権力者がより尊重されるべきか、というのにフランスが3位というのは驚きです。

フランスは今でもフランス革命のアイデンティティが国是なので、一般には権力者嫌いだからです。

でも、「嫌い」だからこそ、尊重すべきだという傾向は理解できます。

「好きでないものでもリスペクトする」というのはこれもかなりの合意事項なので。(「尊敬」と「尊重」はまったく違います。規則を尊重するのと尊敬するのとが別物であるように)

ブログの記事を楽しみにしています。



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Sekkoさま

 投稿者:小寄道  投稿日:2017年11月25日(土)22時20分5秒
  鄭重なるレスポンス感謝いたします。
若干の感じ方の相違がありましたので、ふたたびコメントさせてください。

他人と違うことを恐れない。地位や人種なんか関係ない。自分の人生を自分なりに全うしている。
伊藤詩織さんはそんな『パリのすてきなおじさん』を「50歳のハゲのクスクス屋のおやじ、かたや92歳の競馬場通いのおじいさん」たちに見出しました。

でも、竹下さんは「こんな人たちはきっとそれぞれの『人生の達人』かもしれないけれど、パリからでも詩織さんを支援するために声を上げてくれるおじさんたちはこんな人たちではない」とおっしゃいます。
確かに彼らには、社会的に、精神的にも弱者を支援する実質的な力はないのかもしれない。

「絶対的に弱者の側に立つ」「すてきなおじさん」とは、ではどんな人か。
エスタブリッシュメントの紳士もいれば、どこにでもいる会社員だが信仰にあつく正義感の強い男もいるでしょう。少なくとも繁華街でくすぶっている男たちなんかではない!

では、詩織さんはなぜしがない「人生の達人」風の年寄りたちに心を寄せたのでしょうか? 詩織さんの行動にネガティブな反応する「差別」する日本女性がいうように、詩織さんには「男を見る目がない」のでしょうか?

だいぶ前になりますが世界価値調査というものがあり、そのなかに「権威や権力はより尊重されるべきか」という各国の比較結果をみたことがあります。(近々、ブログに書きます)
フランスは世界で第3位でした。84.9%の人が「尊重されるべき」という意見だったといいます。

日本はどんな結果だったか? 世界25か国の比較ですが、最下位の25位で「尊重されるべき」とした人が3.2%しかいないという驚くべき結果でした。24位が香港でしたがそれでも22,3%あったのです。

10年以上前の調査で、なおかつこの手のアンケートが信頼に足るものかどうか怪しい限りです。でも、これだけの大差があるというのは、やはり日本人は「権威や権力」に対してそれほど信を置いていない、少なくと全面的にリスペクトすべきではないという一般的な傾向があると思います。

もっと突っ込んでいえば「権威や権力」をふりかざす人は胡散臭いと考える日本人は多い。フランスではその正反対の結果がでているわけですが、詩織さんがパリに行って、パリジャンに何を見たか? どんな男に心を寄せていたか。

「権威や権力」を持っているような男にレイプされた詩織さんは、きちんとした身なり、或は騎士道精神のありそうなパリジャンをみても、ちょっと斜に見ていたのではと・・。

私には女性の気持ちは分かりかねますが、ツッコミどころ満載の「こんな人たち」に優しいまなざしを向ける伊藤さんの心情がなんとなくわかるような気がするんです・・。
私の独り善がりな見方かもしれません。もう少し彼女を見守っていきます。もちろん、竹下さんを非難するつもりは微塵もありませんので・・。

またまた、長文、乱筆失礼しました。

 

小寄道さま

 投稿者:sekko  投稿日:2017年11月25日(土)02時53分19秒
  アメリカって不思議な国ですね。

あれほど昔からポリティカル・コレクトネスだとかレディ・ファーストだとかピューリタン的規範だとかを振り回しているのに、実は、黒人差別だって全然なくなっていないし、セクハラだって横行し放題、なんて、がっかりというか、逆に正直なのか、よく分かりません。

フランスの80年代以降生まれの若い男性も私の近くにいろいろいますが、確かに彼らの多くは、少なくとも「同年代の女性」に対するスタンスが昔より「非-性的」な感じですね。同時にマッチョな「権力」志向も減ったような。この傾向はいわゆる都会のエリート層に顕著なので、彼らが社会を動か頃には確かに少し変わっていくかもしれません。

「枕営業」という日本語、なるほど、こういうと、女性の方が積極的に女性であることを武器にして男を誘惑するという方向で、こっちのイメージが芸能界に定着しているのだとしたら、セクハラは確かにかすんでしまうのかも。


いろいろなリスクから鑑みて、枕営業を受け入れるのも、セクハラするのも、どっちも男の方が悪い、と言いたくなりますが、自分が男の側だったら、と思うと微妙なところです。

詩織さんは、「メディアは完全に男社会」と言っています。

民事訴訟でどう戦っていくのか、それがどう報道されるのか見ていきたいです。


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ワインスタインと詩織さん事件について

 投稿者:小寄道  投稿日:2017年11月24日(金)22時54分0秒
  「ワインスタイン事件が日本でも話題になっている割には・・」という竹下さんの受けとめ方でしたが、私はそれほど話題になっていると思いませんでした。
もちろんマスメディアで取り上げられたし、論う識者もいましたが一時的な反応で、ワインスタインという人物の影響力をきちんと把握できた人は少なかったと思います。
また、日本人のコアな映画ファンのなかにはタランティーノと『パルプフィクション』、そしてワインスタインという黄金の三角関係が定着していて、事件の深刻さを積極的に語る人も少なかったですね。
私は折をみて、アメリカ在住の映画評論家・町山智弘氏の情報に耳を傾けていますが、彼を通じて「ワインスタイン事件」のもつ重要性をやっと理解できたというのが正直なところです。

「おそるべし、日本文化の壁」ですが、日本の「性文化」・「性規範」は世界的にみてどうも水準が甘く、ローカリズムの特殊性にはまったままだと考えます。

日本男性の性意識、ジェンダー理解はお粗末で、私も含めてですが、その理由は家庭でも学校でもきちんと教育されなかったことが大きいでしょう。
そういう男たちを育てたのは、もちろん母親=女性たちです。女性たちの意識が変わらないかぎり、男たちの「性意識」は変わらないと思います。

その流れでは、先日の竹下さんの「世代間」のはなしにもありましたが、1980年以降生まれの男たち(フランスでいうYZ世代)が社会のけん引役になってから、少なくとも「セクハラ」という壁が意識されるとおもいますがどうでしょう。

この世代の男たちは、性モラルやジェンダーの理解も通過し、いわゆる「草食系男子」と呼ばれる中心層だとおもいます。なぜ、私がそう思うかというと、彼らは戦略的な生き方として「弱さ」とか「控えめなふるまい」を選択しているように見受けられるからです。
もちろん私の印象論にすぎませんが・・。マイカーを持たないとか、口説かないとか、従来の男性のイメージにはない何か特長がありますよ。

日本の芸能界というところは、たいへん間口もすそ野もひろいし、一般人が簡単に出入りしています。女優業を頂点に芸人、バラエティタレント、アイドル、地下アイドル、さらにAV女優など、「性幻想」を売り物に女性が活躍できる場がたくさんあります。
彼女たちのすべてではありませんが、「枕営業」という言葉が業界が定着しているように、日本の芸能界には「セクハラ」がかすんでしまうという由々しき状況にあることは確かです。そうした芸能界の言説が、一般にもかなり浸透しているのが日本の現実といえます。

そうしたなかで伊藤詩織さんの告発はとても勇気ある行動ですし、個人的にも見守っていきたいと思っています。
ただ、「ネットなどで見ると、ハニートラップだとか、『反戦派=左翼=在日』認定など、あまりにもひどい『セカンド・レイプ』の典型のような誹謗中傷が少なくないことに驚く」とあったように、日本の男たちの偏見や性意識の低さは底なしです。第一に、告発された当事者がマスメディアの上位者ですから・・。相撲界の暴力沙汰に熱心なのは、「詩織さん事件」のような本質的な事柄を避ける習性が身についてしまったんです。世も末って感じです。

いけない、とりとめが無くなりました。乱筆、長文、まことに申し訳ありません。
 

グラさま

 投稿者:sekko  投稿日:2017年11月22日(水)18時25分53秒
  私のリテラシーでは「好意的」はありがたい言葉で、悪意などまったく感じませんでした。ですからご心配なく。

でも、なるほど、原理主義の人たちって、主流秩序の側から不当な迫害を受けて硬化したりするケースが多いのだなあとあらためて思います。比較にならないかもしれませんが、弾劾されながら、過激化する一部の人を諫めているダライ・ラマのようなやり方もあり、それも確執を生んでいるから難しいです。難しいのは「宗教」そのものでなく、そこに派生したり寄生したりするルサンチマンかもしれません。

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