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(無題)

 投稿者:和泉  投稿日:2009年 2月 6日(金)07時14分18秒
  Sekko さま、お返事ありがとうございます。

Dialogues des Carmelites は当然ご覧になっているはずでした。
初演はル・フォール出席のもと 1960 年アウグスブルクにて行われたとのことです。日本では 1999年ストラスブールのライン国立歌劇場での上演ライヴ収録 DVD が出ているだけです。

ル・フォールの父方はイタリア出身で、プロテスタントとしてジュネーブに逃れ、ドイツに渡り、その後、彼女自身はカトリックに転会しています。第一次大戦・第二次大戦とドイツの多難な時代を生き抜いており、作品はポエティックで美しいのですが、背景には深いものがあると思います。

私は外国語をどうこう言えるほどの語学力はありませんが、日本語は「呪われた言語」とも言われるくらいで難しいですね。日本ではトーマス・マンが誤解されていることが多いようですが、この人の作品は原文でないと魅力が感じられないからではないかと思います。「ブッデンブローク家の人々」でノーベル賞を貰ったのかな?この作品は日本語訳でもそう違和感はありません。

マンには「選ばれし人」というカトリックの小説もあり、これは独語が簡単ですが、長編「ヨセフとその兄弟」(全3巻)は凝りに凝った文章です。前に通っていたプロテスタント教会の牧師氏が1巻を読み切れず、友人(彼女もプロテスタントからカトリックに転会)に1巻を貸したのですが、そのまま返却してくれました。

マンにはゲーテの「ファウスト」のアンチテーゼのような「ファウスト博士」という小説があり、私の語学力では読み切れないので仏語版を買って読みました。独語も仏語も同じくらいの学力なのでたいして訳に立ちませんでしたが(笑)。それでも、英語訳よりは仏語訳の方が良いと思います。英語は欧州語の中では特殊な言語だと感じます。

マンのゲーテ物では「ワイマールのロッテ」が楽しい小説です。初老の未亡人になったロッテがワイマールに行き、小説の最後で大家となったゲーテに会い、みごとにアンチクライマックスという話です。ゲーテは「若きウェルテルの悩み」だけ独語で読みましたが、トーマス・マンを読みなれていると、文章が荒々しいし、筋立ても下手くそだし・・・好きではないです。「ワイマールのロッテ」のロッテはマンの夫人であるカーチャのイメージが入っているのではないかと私は思います。可愛らしい品の良い夫人になっています。

長文、失礼いたしました。
 

Dialogues des Carmelites

 投稿者:Sekko  投稿日:2009年 2月 5日(木)01時49分35秒
  Dialogues des Carmelites は、好きですよ。オペラでも見ましたし、映画でも見ましたし、ベルナノスの原作も読みました。そう、私にとっては、あれはベルナノスの作品で、彼がインスパイアされたという von Le Fort のものは読んでません。

 このサイトのアート評論のところで、「モンテルラン・シリーズ その2 『ポール・ロワイヤル』」というところに、この、修道女たちの迫害というテーマについてちょっと書いてます。

 大きな時代の変動があって、それまでの自分の立場をラディカルに変更するように、転向するようにと、要求されるという境遇に私は出会ったことがありません。また、本当の意味では、自分が日頃原則としている価値観についてぎりぎりの場で試されるという立場に陥ったこともありません。また、一つの規則や服従を誓わされるようなコミュニティに全面的に関わった経験もありません。

 だから、自分の信念と生命を測りにかけるといったような危機的状況にもあわなかったので、自分がどのようにピュアなのか、あるいはプラグマチックなのか、卑怯なのか、偽善的なのか、ということは本当のところはわからないのですが、何か稿極限状況における「裏切り」みたいなものへの本能的恐れとその先取りの自己嫌悪は意識していました。もちろん、自分の状況にもよるでしょうし、義務や責任の問題もあるでしょう。歳をとると市民的家庭的責任は減ってくるので、ちゃんと原則に殉じたいという心構えはないでもないのですが・・・

 それにしても、文学表現によるメッセージというものの力の偉大さには感動す
るので、先人のいろいろな作品はありがたいですね。私も昔は独語専攻だったので、ゲーテとか読まされましたが、今はついフランス語訳で読んでしまいます。でも、日本語訳で読んでたときのいまいち国政不明だった「カタカナ世界」よりは、今は帰って、フランス語訳によって、ドイツっぽさや英語っぽさが際立ってくる時とかあるのでおもしろいです。Hugoも好きですよ。
 

(無題)

 投稿者:和泉  投稿日:2009年 2月 4日(水)20時00分58秒
  Sekko さま

宗教・哲学の質問箱の方ではお返事ありがとうございました。

Sekko さまは Dialogues des Carmelites (Francis Poulenc) をご覧になりましたか?
原作は Gertrude von Le Fort の "Die Letzte am Schafott" ですが、彼女の "Der Gericht des Meeres" が大学 2 年のときの独語のテキストでした。現在、入門講座に通っているカトリック教会の売店に Le Fort の全集(全 4 巻)の第 1 回配本が偶然にも置いてありました。彼女は詩人なので原文で読みたいのですが、日本では有名でなく、出身大学の図書館にもないようです。出版元も insel などいろいろみたいです。独文学では、以前に Thomas Mann やら E.T.A.Hoffman の作品を読んでいたのですが、みな Fisher Verlag から出版されており、新宿の紀伊国屋書店に陳列してありました。最近は独語や仏語の小説なんてほんの少ししかありません。

仏文学では Marcel Proust が好きで何度も読みました。今度は Victor Hugo の Les Miserables を読みたいと思っています。子供時代からお馴染みのストーリーですが、日本語の全訳を読んだのは 10 代の頃です。Pleiade にありますよね。Histoire d'Adèle H. が大好きな映画であることも影響しているかも知れません。

とりとめもない独り言でお邪魔しました。
 

偶然ですね。

 投稿者:Sekko  投稿日:2009年 1月24日(土)18時07分50秒
   phantom さんもバリ島にいらしてたなんて、偶然ですね、ひょっとしてケチャックの会場とかでお会いしてたかも?

 実は、この前、「カトリック系出版のどの雑誌、どの本に目を通しても、自分達の世界の中の事だけ。それを外に発信し、苦しんでいる人をどうにか助けようなんて姿勢は見られない。」と書いていらしたので、『カトリック生活』に連載してる身としてちょっとあせったんですけど、よかったです。

 若くて元気でがんばってる人はいろんな競争に参加するのもいいと思います。そういう時期があったり、そういう人がいることが、世の中を活性化してくれるんだろうと思いますし、私もテクノロジーの発展や情報システム(ここでいろんな方と話し合えることを含めて)の恩恵を受けています。

 でも、私自身、へこむことが多いタイプなんで、やはり、心身のセーフティネットが充実してる世界に憧れます。競争が嫌いだったり、心身ともにすぐめげてしまったりすることでよかったと思えることは、他人のそういうつらさが想像しやすいことです。もし自分がたとえば病気知らずの完璧健康体だったりしたら、やはり、あちこち痛い、っていう人の気持ちがぴんとこないかもしれません。それでなくても年取ってくると相対的に弱くなりますが、その分、やさしくなれる感じです。このやさしさを、もっと若い時に惜しみなくふりまけばよかったかなあ、って時々思います。『カトリック生活』は基本的に若い人が想定読者なんですけど、できるだけ正直に書きたいと思ってます。
 

まとまりない長文でごめんなさい!

 投稿者:phantom  投稿日:2009年 1月22日(木)18時50分29秒
  こんにちは、ご返事いただきありがとうございます!
追加記事、早速拝読させていただきました。
「ポジティブさへの称揚がそうでない人のいじめになる」。
カトリック生活2月号の竹下さんの記事(こちらも途中で涙が出そうに・・・)の、アンチエイジングについての文章と併せて考えさせられました。女性ならアンチエイジングの理念は大いに共感するところではありますが、ではそうではない人、例えばエイジングした人はその
理念の下ではどう見なされるのか?いじめとはまさにこのことですね。

人間社会の中ではいじめ問題は必ず起こりうるものですが、日本のそれは
村社会であったがゆえに「他者との違い」から生じるものであったように思えます。
ただ、最近は竹下さんが仰るように、それに加えて「ポジティブさの称揚」
という概念の裏返しとしての差別、いじめが増えたように感じられます。
(いじめといっても、今までのものとは違い、直接的に悪意が向けられているのではなく
言葉の裏側に弱者を貶める意が込められたものですから、いじめとは表現しづらいかもしれませんが)
日本ではアメリカのように自己啓発セミナーなどがそれほど盛んではありませんが、
それでも「勝ち組、負け組み」「自己実現」に関する書籍が増え、また大いに
売れている事を考えると、やはり近年急激に浸透してきた概念ではないでしょうか。

人間だから、もちろん高収入であったり、容姿が優れていたり、非常な健康体であったり
その他諸々、他者と自分を比べてしまうことはあると思います。
ただそれを声高にメディアが称賛する事が怖いと感じます。そこには無邪気な子供が
他人に面と向かって「おじさんはハゲてるね」と口にするような悪意なきゆえに
より一層相手を突き刺すような攻撃性があるからです。

具体的な解決策なんてないことですが、「セレブ」だとか「リュクス」なんて
夢見心地に口にしていないで、一人でも多くの人がこういったことがいかに
残酷で子供じみていることかに気付いてくれればと願っています。まずは身近なことから、私達がそのように生きて、周りをそのように見回して、
「そうではない人」と「切り捨てられた人」と普通の顔をしながら生きて行きたいですね。
竹下さんがブログなどでこういった話題を取り上げ、発言をしてくださることで
どれだけの人間が救われていることか。言葉って強い力ですね。

追伸、私も年末年始バリ島に行ってました!
同じくバロンダンスやケチャックを堪能して参りました。
ケチャック、実際自分がやったらエクスタシー状態に入りそうで
気持ち良さそうだな〜と思いました。思っていたよりも娯楽性が高く、
演劇として純粋に楽しかったです。しかしああいうものを見ていると
宗教においてトランス状態に入るというのは万国共通なんだなーと感慨深かったです。
その状態において人間は神の現存を体験し、交信できるというのならば、
ユングの言うところの集合的無意識なんていう言葉が妙に納得できますね。
人間って頑張れば宗教も人種も超えて平和に生きて行けるんじゃないかなーと希望すら感じます。
 

遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。

 投稿者:Sekko  投稿日:2009年 1月14日(水)10時43分35秒
   掲示板への投稿お知らせ機能がストップしてたみたいで、お返事が遅くなってすみません。

 ブログのご愛読ありがとうございます。

 phantomさんに、こんなふうに言ってもらえてすごく嬉しいです。これに勢いを得て、同じ件についてブログに追加記事書きました。どう思われますか?

 まいさんもありがとうございます。おしゃべりは好きなので気軽にどうぞ。
 自分より弱いものを擁護し援助するのも当然だと思いますが、上から目線のお情けでなく、自分のなかの弱い部分をもかかえながらつながりあうという感じでしょうか。みないつかは老いたり死んだりするのですから、「強さ」なんて支配のためのレトリックでしかないかもしれません。生病老死とどう向かい合うかというのが宗教の成り立ちだとしたら、やっぱり、信仰があって平安に生きられる人が羨ましいです。
 キリスト教が、いつの間にか絶対強者にされていた「神」を人に引き寄せて関係性を結んでくれたのはいいなと思います。

 マルコの福音書2−17に、

 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」

 というイエスの言葉があります。

 実際、イエスに天国に招かれた第一号は、隣で十字架につけられていた犯罪人ということです。

 シリアの古い詩に、この犯罪人がやってきたので、天国の番をしていた天使が嫌な顔をして入れ渋った、というのがあるそうです。

 「自分たちいい人ばかりが天国の住民ね」なんていう優越意識を持ってたら、こんなふうになりがちなんですよね。

 みんな罪人、って言うのは別に卑下やマゾじゃなくて、独善や排他を避けるために必要な考えなんでしょうね。

 カトリックでも禅とか東洋的瞑想方法や新体技法を取り入れてるグループもあります。キリスト教もストア派的ヘレニズムの世界で形成されて来たから苦行っぽい伝統もありますけど、イエスはもっと楽しそうですね。
 神を外に立てちゃうと戦争の口実にしたり、祈願の対象にしたり、都合のいい方にねじまげちゃう歴史の繰り返しを見てると、すでに内なる中に来てくれている神、というアプローチはいいですね。仏教にも同じアプローチはありますよね。
 

雑感

 投稿者:まい  投稿日:2008年12月27日(土)00時17分15秒
  こんにちわ。いつぞやはグアダルーペのまりあ様のことでお世話になりましたまいです。ちょくちょくこのサイトを拝見していたのですが、書き込む勇気はありませんでした。ブログも大変興味深く拝見しております。特にun droit a la fragiliteの概念はとても面白いと思いました。弱いものを擁護し援助するのではなくて、弱いものでいる権利、壊れものでもいいではないか、という風に理解しました. これは主に信仰上の概念なのですか?

それと、質問なのですがカトリックはヨガなどの東洋思想はどのように位置づけているのですか?毎日の黙想という雑誌をときたま読んでますが、聖霊がガイドしてくれる、とか神は内なるなかに、とか夢には神のメッセージがあるかも、とか大きな流れにそって、とかなんだか、とてもヨガ・東洋思想っぽい気がするのは私だけでしょうか?
 

CD

 投稿者:西村光弘  投稿日:2008年12月16日(火)17時42分35秒
  お返事ありがとうございました。こちらの返事が送れすみません。
11月の終わりから東京に帰っていたので、11月29、30日のクリスマスプレゼント用作品展示販売会には、伺えず残念でした。
また別の折にでもお目にかかれたら嬉しいです。
 

ブログ、大好きです

 投稿者:phantom  投稿日:2008年12月14日(日)16時07分54秒
  12月12日のブログの記事、最高にぐっときました。
日本における宗教についての見解、ずーっと個人的に感じていた事が
書かれていて、なんだかすっとしました。

雑誌『ジッポウ』に見られる様な、ロハス、セカンドライフに癒着した
仏教のあり方は、努力が感じられていいけれど、でも伝統宗教ならば
もっと他にできることがあるのでは、と思ってました。ロハスだの
一日坐禅体験に興味がある人はきっとお手軽なスピリチュアルとデトックスを
体験したいだけでそれほど精神的、社会的に逼迫している人ではないでしょう。
本当に苦しんで、あえいでいる人はあんなにライトなテイストの雑誌に
手を伸ばすゆとりもないはず。

もちろんそれは仏教に限った事ではなくて、カトリックも同じですね。
日本のカトリックワールドは完全に閉鎖社会。信者獲得なんて
もはや目指そうとすらしていませんよ。カトリック系出版のどの雑誌、どの本に
目を通しても、自分達の世界の中の事だけ。それを外に発信し、苦しんでいる
人をどうにか助けようなんて姿勢は見られない。
ようやく起こした宗教的自己主張が4世紀前の殉教者の称揚・・・って、
これは思っている人はいても、絶対口にできないことですね。思わず笑ってしまいました。
また身内だけのマイワールドで、自己完結??しかもなんで今?そう感じていました。
(もちろん、上記に殉教者そのものを貶める意味合いは全くありません)

仏教にしろ、カトリックにしろ、今彼らが起こしているアクションに
リアクションが取れるのは、割合元気な人達だけでしょう。
そこが引っかかるのです。宗教ってそんなんだったっけ?と、素朴に疑問を抱くのです。
冷静に宗教界を外側から客観視してくださる人はほとんどいません。
だからこそ、竹下さんの文章にぐっときました。その姿勢、大好きです。

また同日の記事「壊れものである権利」に、思わず泣いてしまいました。
竹下さんの文章に、胸を突かれました。こんなに優しく素敵な文章を書いてくださって
ありがとうございます。「ポジティヴシンキング」「成功」「自己実現」は
無邪気な笑顔で蔓延していますが、それがどれだけ天真爛漫に人を追い詰めている事か。
私も自分の弱い所に神を受け入れて、人とつながり支えあいたい。
強くそう感じました。

とりとめもない駄文を失礼致しました。
とにかく本当に、素敵な文章をありがとうございますと御礼を伝えたかったのです。
ずっとずっと応援しています。ほんと大好きです。
 

ありがとうございます

 投稿者:Sekko  投稿日:2008年11月19日(水)13時19分37秒
   ちょっと取り込んでおりまして帰仏を延ばしたので、お返事遅れてすみません。
 私のアソシエーションで29,30日にクリスマスプレゼント用の作品展示販売を行います。
 http://kapizo.hp.infoseek.co.jp/noel2008.htm
私ももちろん顔を出します。

 私たちは、オーケストラ譜を移調はしていますが、基本的に全パートを再現しています。まあ、テクニック的には困難になるんですが。最初のCDの時に比べて今はずっと進化しています。Youtube に入れたラモーとか観てくだされば分かると思いますが。
 しかし、移調しているので、歌を入れるのは結構難しいのです。歌のメロディをフルートでやってもらうことはないでもないんですが。メンバーの一人は別のトリオをやっていまして、それはギターと歌とヴィオラの一種でYoutube
にもたくさんのせているので、フランスに帰ってから紹介しますよ。
 

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