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CD

 投稿者:西村光弘  投稿日:2008年11月 1日(土)00時22分8秒
  こんにちは、CD「ルイ15世時代のオペラ・バレエ音楽」を購入して、聴かせていただきました。面白かったです。オーケストラの曲をギター三本のために編曲するのは、苦労がいるのではないかと思います。その大変さを超えて、ミオンの曲を紹介したいというお気持ちが強いのではないかとお察ししました。ミオンのオペラの歌曲を、歌とギターのトリオで演奏したりはなさらないのですか?  

日本の社会

 投稿者:Fusako  投稿日:2008年10月27日(月)00時03分40秒
  みきさんが、ずるい人が得をする、ということについて書いておられましたが、わたしが感じるのは、日本の社会には、社会で共通して「善し」とする価値や目標がなく(フランスでは、「ソリダリテ」などが共通の価値なのでは?)、個別の小さい集団の人間関係の規制のみが強いために、生活や仕事が、その生活・仕事本来の論理で進まず、人間関係によってゆがめられて、「まともな生活」「まともな仕事」を維持するのが難しくなってきていることです。ですから、「ずるい人」、というよりも、生活や仕事の筋は二の次で人間関係をうまくわたる人」が得をするシステムではありますね。ですし、共通の価値がない、というところに、カルトが入ってくる、という気もしています。この日本のあり方って、コミュノタリズムとも違うとわたしは思っているのですが。  

教会ネコ、いいですね

 投稿者:Sekko  投稿日:2008年10月20日(月)17時01分28秒
   フランスの教会は時々、ホームレス不法移民とか住み着いていただいるようです。ノラネコ保護したら信者さんにも励みになるかも、ですね。
 ネコには原罪がないって感じがするので、原罪がない人は救いを信じる必要もないんですから、信者になる必要もないですよね。
 フランスにはたまに、動物の祝福をしてくれる教会がありますね。昔の農村地帯では馬牛山羊などが大事なのでわりとよくあったみたいです。そういうフォークロニックな伝統を残す教会の一部は、ローマ教会の「近代化」の度にカトリックから離脱してしまいました。昔は(ひょっとしたら今も?)、日曜に聖体をいただいたのをそっと隠して持って帰って病気の馬や牛に食べさせた、という話もあると読んだことがあります。イエスは自分を裏切ると分かっていたユダにだって最後のパンとワインを分け合ったんだから、別に目くじらたてないかもしれませんね。
 日本のネコマンガも好きですが、こちらでは手に入らないので、なごみたい時は、ネットで「にゃんねる」ブログを眺めたりしてます。もちろん本物のネコがすぐそばにいるんですが、ネコ好き同士の馬鹿話を聞くのってなぜかなごむんですよね。
 さっきも開いたら、野外で寝転んで星空観測してるうちに眠ってしまい、ふと目が覚めたら腹の上と両脇と片脚にネコがぴったりくっついていた人の話があって、そこについてたコメントが、

 ねこ1「倒れてる人間がいるにゃっ」
ねこ2「温めれば助かるかもしれんにゃ」
ねこ3「たすけるにゃ!」
ねこ4「たすけるにゃ!」

 というもので、笑いました。ネコが人間を湯たんぽがわりにしてるのはみんな知ってるのに、こう見ちゃうことの、幸せ。
 周りの人間のことだと、生活保護を受けてる人のことさえ税金泥棒とか批判する人がいるし、不公平がどうのこうの、という話ばかり聞くと、ネコに対する人の心の動きを観察することで、人に対しても真の友愛の感覚っていうのを活性化できるんじゃないかと思いますね。それとも、異種の方が愛しやすいんでしょうか。
 

教会のネコ

 投稿者:迷える大羊  投稿日:2008年10月18日(土)23時19分8秒
   ブログにも書かれてましたし、HPのコーナーにもありますけど、SEKKO先生、猫好きなんですね。私も好き。もっとも、飼う気はない、というかマンションなので飼えないし、世話もできないってこともあるけど、都会や人里に生きる野良猫観察が好きなんですよね〜。仕事で疲れたり、イヤなことあると、自由に生きる野良猫がうらやましくなることも(彼らの世界は彼らの世界でいろいろあるんだろうけど)

 最近出入りしている教会にも住み着いているネコが3匹ほどいますが、彼らはミサの式次第覚えちゃったかな?猫は信者になれるのか?とついしょうもないこと考えちゃいました。
 

ありがとうございます!

 投稿者:みき  投稿日:2008年10月13日(月)18時02分25秒
  とってもうれしかったです。今日まで三連休でまた明日から学校がはじまります。
おかげで学校に行く気力が出てきました。明日は休もうかと思ってたんですが、がんばって出勤してみます。竹下さんの言葉は奥が深くて心がいつも心が揺さぶられます。
学校は三鷹市にあり久我山の近くなんですよ。先生なのに表向きな体裁を気にして取り繕っている方たちが多くうんざりしてるところでした。でもいい格好をしなければいけない仕事だからこそ、そうなってしまうのかとも思いました。少しプラス思考になれるよう努力してがんばってみます。
11月是非会いたいです。連絡しますね。いつもありがとうございます。
 

だいじょうぶですよ!!

 投稿者:Sekko  投稿日:2008年10月13日(月)17時31分9秒
   みきさん、お久しぶりです。じゃあ、ちゃんと無事に「先生」を続けてるんですね。すてきなことじゃないですか。自分のスキルを活かして子供たちに音楽を教えて、自立もできてるんだし、雇用も安定しているんだから、安心だし、立派ですよ。いい事と悪いことをリストアップすると、誰でもネガティヴなことばかりが拡大して優先的に出ますが、それは生存戦略としてケアできることはするために必要なんでしょう。

 良いことと悪いことが隣あわせってこと自体は、「人間万事塞翁が馬」とか「禍福はあざなえる縄のごとし」とかいうくらいなので、一般的な人生の知恵なんだと思います。お天気と同じで、雨ばかりってこともないし、風もやむし、晴ればかりだとまた乾燥しすぎってこともありますから、自分にとって運気だと思えるようなものは変化する方が全体としてバランスが取れてるんだと思います。
 ものすごく大変なことが降りかかった時、特に自分の周りの人がとても苦しんでいるとかいう時は、悩んでる暇もないくらいのことが多いので、「悪いことだらけ」って落ち込んだり「ずるい人が得をする」って腹をたてられるのは、まだ余裕があるからかも、です。その余裕の部分を「良いこと」に振り向けてください。「良いこと」が難しそうなら、なにか「善いこと」に。
 キリスト教では、そうですね、一応は、本来、善悪2元論的なとらえ方と戦っていています。いい事と悪い事がある、というとらえ方では、常に、では全能の神はなぜ悪の存在を許すのだ、とか、いいものを創った神と悪いものを創った神と二人いるのだ、とか、この世は汚れている姿だから早く肉体を離れた方がいい、みたいな考え方が出てくるからです。だから、基本的に、何が良いことで何が不幸なのかは、それこそ神のみぞ知る、で、私たちが安易に判断して勝手に絶望してはいけない、と思っておけばいいのではないでしょうか。
 「ずるい人が得をする」というのは、損得の問題なら、得をしている人の影に損をしてる人がいるわけで、それがゲームであればしょうがないですが、強い立場の人が弱い立場の人を一方的に踏みつけにしてるとしたら、それは逃げずに、ちゃんと正していかなくてはだめだと思います。
 「ずるい人」の中には、「ずるいこと」に対して全く罪悪感を持てない人もいるんで、でもそんな人たちも「ずるいこと」を白日のもとにさらされるのは嫌、という恥の感覚はあることは多いので、告発されたらやめる、というケースも少なくないです。だから、「不正」に敏感であることは必要だと思います。
 こういう人間性や、ずるい人が得をしがちな社会の仕組みって、残念ながら日本だけじゃないですよ。でも、あり得ませんが、たとえばみきさんが、「おかげさまで、私、ズルをして得できたので幸せです。」なんて、報告してくるよりも、「生きにくい」と歎く方が、いいですよ。疲れたときにSOSを発して下さるのは歓迎です。それだけでもちょっと安心できます。
 11月上旬当たり日本にいますので、連絡してください。
 

キリスト教では?

 投稿者:みき  投稿日:2008年10月13日(月)04時41分53秒
  竹下さん、大変お久しぶりです。もう、1年くらい前になりますがエコールノルマルのセティフィカの訳ありがとうございました。まだ、十分お礼もできなくてすみません。
いつも辛い時だけメール等してしまってごめんなさい。このサイトには、元気がないときにちょくちょくアクセスさせて頂いて元気も頂いてたのですが、最近悪い出来事が多くて、もう生きる気力がないんです。うつ病かも〜!!
キリスト教では悪いことと良いことは隣り合わせだと、どこかできいた覚えがあるのですが
それは本当ですか?だとしたら私はこれからこの悪いことだらけの毎日から逃れられますかね?なんだか日本社会に疲れました。まだ、中学校の先生をしてるのですが日本ではずるい人が得をしているような気がします。またいつか旅行でいいのでフランスに行けることを願ってます。
 

お返事おくれました。

 投稿者:太陽丸  投稿日:2008年 9月25日(木)12時18分12秒
  そうですね、外部の力で何かを解決する癖をつけると、よくない感じは確かにあります。自分自身の力を信じられなくなりそうですし。

精神の遊びの部分と現実的な面のバランスをまめにチェックしたほうが良いと思いました。

あと、そろそろ、仕事がひと段落つきましたら、少しずつフランス語も勉強していきたいと思う今日この頃です。

ありがとうございました。
 

枠組みの違い

 投稿者:朝川 渉  投稿日:2008年 9月24日(水)19時42分30秒
  被造物という言葉は知っていましたが、あらゆるものが被造物だという考え方はしていませんでした。というよりも、聖書とは縁遠いので「被造物」という単語から啓発される機会はないし、何も連想しなかったのですけど。
でもカトリック=普遍という公式がなんとなく分かったような気になります。人間中心や自分中心の枠組みだと、この枠を超える大きなものを認めるのは大変ですね。

1569年に行われた日乗上人対フロイスおよびロレンソによる宗論が何を問題にしていたのか、どこで認識がずれていたのかも、ようやくわかってきました。
この宗論は、日乗上人がデウスをみせろと要求したのに対して、ロレンソは、人間は普遍的原因から出た者にすぎないから、人間はデウスを見ることができないという話だったかと思います。厳密には誤解があるとは思いますが、至らぬ点はご容赦ください。
 

朝川さま

 投稿者:Sekko  投稿日:2008年 9月23日(火)18時42分55秒
   『コンタクト』って映画、見てないんですよ。興味はあったんですが・・
 昨日、『カトリック生活』の連載のためにUFOと宇宙人ネタを書いたところです。宇宙人とか天文学者とか、超越神は実はけっこう親和性があるんですよね。
 つまり、宇宙人だとか、未確認なんたらのような「不思議」なことも、みんな「被造物」としては同列なんで、存在することもできるし調べることもできるという感じです。それは、「自然」や「宇宙」を人間を超えたものとして神格化する考えより時として自由です。いわゆる原理主義的な天地創造観は別ですけど。
 

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