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論文
投稿者:
西村光弘
投稿日:2008年 7月16日(水)01時10分51秒
編集済
こんにちは、お元気ですか。
日本の大学に提出するために論文を書いています。1674年に上演されたリュリのオペラ『アルセスト』にまつわる論争についてです。論争は、シャルル・ペローとラシーヌの間で繰り広げられた文学論争です。古代と現代とで趣味は変わるのかということが、議論されています。なぜ2人はこれを議論したのか、背景を考察してみました。
これがあと2,3日で終わると、新旧論争の中で扱われた音楽についての研究に取り掛かります。こちらを今回フランスで勉強しに来ました。ポリフォニーかホモホニーかの議論になると思います。
こちらこそ
投稿者:
Sekko
投稿日:2008年 7月 1日(火)05時22分59秒
みなさまご無沙汰してました。
西村さま、連日のお越し、お疲れさま。
私は今日もう一度弾いて、今学年の活動は一応終了です。5月後半にフランスを留守にしていた遅れを取り返すのに大変でした。
これからの2ヶ月は、久しぶりに夏にフランスに残って仕事します。
基本的に引きこもることが多いと思うので、17世紀後半の音楽美学について何か discussion pointue があればここで展開してみてください。こちらも気分転換になります。
その前の朝川さんの禅の話、「Soyez Zen !(まあ、落ち着いて)」って言うのは、中学生でも使いますね。なんか、仏教っぽい用語って、エコロジーな感じってことで使われてる感じがしますね。
maiさま、お兄さま、よかったですね。きっとmaiさんのやさしい心が通じたのでしょうね。
奇跡治癒の基準、精神的な病も今は対象になるみたいです。特に心身症。
精神の好調、不調はみな、体だけでは説明できないし、自力の克服も難しいですね。ネット上で、回復を願う周りの方の祈りの善意の受け皿があるのはいいですね。そういう善意の連鎖そのものが、苦しい時期にはそれだけで奇跡みたいに思えて感謝したくなります。
ありがとう
投稿者:
西村光弘
投稿日:2008年 6月29日(日)07時18分53秒
27日(金)の講演会勉強になりました。そして昨日土曜日のコンサート、そしてその後のパーティ、お招きいただきありがとうございました。色々な人たちとお会いし話しが出来、とても楽しませていただきました。ありがとうございました。
そうですか
投稿者:
朝川 渉
投稿日:2008年 5月25日(日)08時50分3秒
KGOTOさん、教えて下さってありがとうございます。
静かにすることを表すのに、フランス語では「Zen」ではなく別な言葉もあるはずなのに、仏教用語が用いられているのに興味を持ちました。
Zap et Zen
投稿者:
KGOTO
投稿日:2008年 5月25日(日)05時44分55秒
>禅車両
ご指摘の車両はSNCFのidTGV(格安TGV)サービス Zap et Zenの事を指摘されて
おいでと考えます。
これは、飽くまでコンセプトを説明したものであり
DVDやゲームを貸し出して、移動を楽しむというZap車両に対し
携帯電話の電源を切り、案内アナウンスも車両の検札も無くした静かな移動を保証するZen車両となっております。
また、このようなサービスが2007年に導入される前から
日本ではサイレンスカーサービスが既に新幹線で導入されています。
(JR西日本にて)
あしからず。
禅車両
投稿者:
朝川 渉
投稿日:2008年 5月24日(土)15時58分31秒
ホームページ巡りをしていたら、フランスの新幹線には「禅車両」というのがあると知りました。こういうのを日本はなぜ思いつかなかったのかなあ。
そういえばルルドの泉あたりは、三銃士ダルタニャンのふるさとなんですね。今でも史跡が残っているんですか?
http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/index.htm
mercil mil fois
投稿者:
mai
投稿日:2008年 5月22日(木)23時50分17秒
はじめまして。ご報告なのですが、御書のスピリチュアル超入門の中に書いてあったグアダルーペの聖母にとりなしてもらいました!グアダルーペの聖母のことは御書ではじめて知ったのですが、グアダルーペの教会のサイトをしらべていたらさすがネットの時代、この頃はお祈りもサイトに書き込めるのですね。兄弟の病のことで神頼みしたいことがあったのですが、お祈りを書き込んだころから、奇跡がおこったみたいです。兄弟は精神的に病んでいたことがあったのですが、それが霧が晴れたみたいに治って。。。。ルルドに関する御書にはルルドでは精神的、神経症的なことの回復は奇跡の判定には使えない、と書いてありましたが、精神的な病が治ったことも十分恩寵ですよね。とにかく、マリア様、そしてそのマリア様にとりついでもらった竹下様に感謝です。
そうですね
投稿者:
太陽丸
投稿日:2008年 4月16日(水)16時29分49秒
たしかに、自分とは違う感覚がありうるわけで、自分のなかでは既に消化できている心理的課題でも他人ができていないときにはもっと寛容に接することも意識しないといけないなあと思います。素晴らしい本やインスピレーションなど幅広い形の恵みをたまたま一足先に頂いているだけかもしれませんし、遺伝器質的に、限界があるのかもしれませんし(例えばつい感情的反応をしてしまうとか)、ともかく、正しいと思っても自分の想像力外の可能性、見落としている可能性を意識しておいた方が良いと思いなおしました。
最近、言葉をないがしろにする風潮があると聞きますし、私自身も家庭レベルで実感していますが、言葉一つで心がふさいだり逆に解放したりと大きい影響力が、まさに言霊というくらいあるので大切にすべきだと自分に言い聞かせました。深く優しい感性を育み(どのように?祈りの継続とかもよさそう)そこからすっと自然に優しい言葉、態度がでるとよいなあと思う次第です。
境界領域
投稿者:
Sekko
投稿日:2008年 4月15日(火)07時25分49秒
死とか誕生とか、そういう境界状態って、不思議なことがよく起こるみたいで私もよく耳にします。臨死体験とかも、全く脳内の幻覚なのか、外界からの刺激とも関係があるのか、分かんないですね。ともあれおじいさまのご冥福、お祈り申し上げます。
お母様のご様子、親を失うような極限状態ではだれでも、統御ができずにいろんな姿が出てくるのだと思います。
こういう風に観察したり分析したり批判することができるのって、自分の中にもそういう部分があるからかもしれません。私の近くに、アダルトチルドレンと正反対の人物が一人いますが、その人がもし、わんわん泣くおかあさまを見たら単純に気の毒に思うでしょうし、気持ちが醒めたのを見ても、泣くだけ泣いて落ち着いたのかな、よかったな、と思うでしょう。
ところが私のような人間は、自分は制御できないか逆に感情をブロックするでしょうし、でも、他人の反応はあれこれ分析するかもしれません。
みな、それぞれの眼鏡を離れられませんが、それぞれのできる範囲で、悲しんでいる人に寄り添ってあげましょう。誰かの一番の愛情の対象でいたいと思う気持ちは、煩悩の代表みたいなもので、そこから逃れられない人は苦しいと思います。愛するとか愛されるというのは決まった状態じゃなく、その都度の行為の選択を可能にする心の向きと一種の寛大さに拠るような気もします。
愛の独占という苦しみの連鎖から逃れて「悟り」や感謝の境地に至れるかどうかは、その人の努力によることもあるでしょうし、偶然とか、それこそ恵みによることもあるのでしょう。祈りって、多分そのためにも役に立つんでしょうね。
でも最初からアダルトというか、そういう愛の独占なんて感覚を持ち合わせていない人も実際にいるわけで、羨ましい限りですが、そういう人を見てると気づきや学びがあります。
私なんか、こっちに決して迎合しない猫と生活していて、愛することの距離感やらいたずらな要求を持たないことやらを日々学習させられてます。
人間の完成や心の発達が、体の機能とか知能とかとは別だというのはよく分かります。ジョークの例で言えば、やっぱり、うけたい、とか、人からどのように見られたいかという「他人の目」が、不自然さを招くんですね。でも、「少しでもよく見られたい」という気持ちが全然ない自然体でも、また向上がないでしょうし難しいところです。
何事も、試行錯誤の歴史をくぐり抜けていくのが結構厳しい過程だというのは同感です。太陽丸さんの個性や感性や霊性の大いなる発展をお祈りしてますね。とりあえず、おかあさまに優しい言葉をかけてあげられてはいかがでしょう。きっとすごく嬉しいと思います。
めるしーぼく
投稿者:
太陽丸
投稿日:2008年 4月12日(土)12時13分14秒
どうもです。最近、教会には行っておりませんでして、そろそろ、顔をだそうかなと思います。やはり、教会には、神様の匂いがありますので。手紙攻勢に弱いというのもありますが。
ところで、つい最近、95歳の祖父が息をひきとったのですが(朝?からすみません)、その少し前に、私は心のなかで、「もし、よろしかったら、私の信じる主イエス・キリストの神様の世界があるんだけれども、特に、おじいちゃんの信じる頼り所がないならば、精霊たちにも頼んでみようか、竹下さんもいるしね!(すみません。)」みたいなことを、精霊のパワーのイメージと合わせて、よびかけてみました。聖女でもあるまいし、日頃の行いに自信もありませんが、一応、お取次ぎ作業をしてみました。そしたら、ほとんど反応なしのおじいちゃんが、呼吸をあらげて、目をかっぴらいて反応?してくれました。時間をおいて、同じような作業をしたら、また大きく反応したので、あっちとこっちの世界を揺れ動く状態だと、そのようなイメージ的呼びかけが敏感に分かるのかも〜なんて感じたりしました。
母親が、おじいちゃん娘でわんわん、泣いていたのですが、私の従兄がきて顔みせたら、母親よりもずっとうれしそうに反応したのをみて、急に気持ちが冷めちゃったというのを聞き、がっかりしました。誰かの、一番手の愛情対象でなくとも、頂いた愛情、愛着に丁寧に気持ちを寄せて、感謝する姿勢はないのか!このアダルトチルドレンめ!なんて思いました。アダルトチルドレンの正確な定義などしりませんが、大人のくせにガキみたいな筋の悪い感覚の人を、私は、そう呼んでいます。いや、呼びたいです。
最後の最後まで、主イエス・キリストの救いがその人にもたらされる機会をあきらめてはならない、完全にこんな人はキリストの天国には入れないからとアプローチを見限るのではなく、小津安二郎の「俳優がどこでとんでもないまさかのポイントで壁超え(村上春樹みたいですね)するか分からないので安直に見限ってはならない」的指摘に通じますが、まさに、とんでもないポイントでつい見限りがちな、あの人が悟る期待、欲望をあきらめてはならないと。ひょっとしたら、それは、最後の最後の瞬間かもしれないと。
障害児教育者の茂木さんの指摘に、障害者の個性、感性がより豊かに、正確に広範に発露されることも発達と捉えてよいのではないか、例えIQ的発達に上限があったとしても(そんなの、健常者でも結局同じことですよね)とう指摘に感銘をうけました。これは、具体的には、ある知的障害者がある局面では社系的微笑というなかなか豊かな個性を発露できるのだが、別の緊張的局面ではまったくその個性が発露できなかったとき、いつしか、壁超えして、以前苦手だったその局面でも、自由にそのなかなか豊かな個性を正確に安定的に発露できるようになったとしたら、IQというスペック自体の向上はなくとも、発達ではないかという味のよい捉え方のことである。私の、卑近な例でいえば、同性には創造性あふれるユーモア、自然体、というなかなか豊かな?個性が発露できるのに、かわいい異性の前では、コチコチになって、気の利いたジョークのひとつもいえず、ぶっきらぼうな言動をして相手も緊張させたりすることがしばしばなのですが。(もう慣れっこです。)
ここで、ふっと壁超えして、これまでは緊張的魅力女性局面において、同性的局面同様、正確かつ自然的ジョークが安定供給できれば、これは、もう発達したと捉えようということです。
そして、さらに、この理論をキリスト世界に敷衍させるならば、主イエス・キリストの精神を深く、正確かつ安定的な発露作業にもほぼ限界はないということです。日々、意識していれば、まだキリスト精神が曇っている自身の固定観念にふっと、気づくことの連続ですよね。(障害者も健常者も脳ミソ自体はもうたいしてよくならないけども・・)そこには、なにがあるか、個性の豊かな発達、霊性の豊かな発展があると思います。一人一人異なる個性が、霊性が輝くのです。(まあ、当然、おーらも付随的に輝くのでしょうな。どっちでもいいけども)。一つだけの花-とか、安直、素朴な逃げに薄っぺらく使われては、たまりません。個性、感性、霊性の豊かな発達は、試行錯誤の歴史をくぐりぬけていく結構厳しい過程のなかにあると思うからです。
猫はお元気ですか。春は、ぽ〜とゆるみますね。たしかに。
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