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ええと・・・

 投稿者:Sekko  投稿日:2008年 1月15日(火)04時22分35秒
   浮世離れした雑誌はオタク御用達とか、よくあると思いますけど・・・まあ、この雑誌も、中世のコスプレ好きとかも読んでますが、まともな記事も多いです。
 マツオさん、ちょっとトーンダウンしてくださるかROMにまわってください。このサロンにはちょっと熱すぎます。いや、歌って踊るのはいいんですよ。でも話の接ぎ穂がないです・・・
 他の方も「イエスが宇宙人の学説」とか、あまりここで変なこと言い出さないでください。よろしくお願いします。
 

す すばらしい

 投稿者:マツオ  投稿日:2008年 1月14日(月)21時41分15秒
  >中世専門の隔月刊雑誌があって、
この部分 じ〜ん としました。目を瞑って わたしはイメージした。この世界のどこかに何か浮世離れした雑誌を出版する人々がいて それを熱心に読んでいる人々がいる…それは屋根裏部屋であろうか、それとも半地下室か…もしかしたら地球以外の星に印刷所があるのかもしれない。わたしの想像力につばさが与えられてイメージは限りなく増大してゆきます…竹下さんがどんな時に どんな風にその雑誌を読んでおられるのかわかりませんけど そのそばにいたら感動のあまり 即興で詩を作り朗々と詠んでしまいそうです。

>マリアマグダレナ・マーマレードもしりませんでした。

うん そりゃあそうなんですよ。だっておととい僕がスーパーでマーマレードを買ってきてラベルを剥がし 自分で突っ走るマリアマグダレナの絵を描いて貼っただけだもん。それを「マリアマグダレナ・マーマレード」と命名して 今日 主任司祭に見せたんだけど喜んでました。
「マリア・マグダレナ マーマレードの歌」(フリもある)ってのも作って 自分で歌って踊ってます。白柳枢機卿に「頼むからその歌を典礼聖歌集に入れてくれ」と泣いて頼まれたらどうしようとなやんでます。外は大雪だというのに(新潟より)
 

失礼しました

 投稿者:Sekko  投稿日:2008年 1月14日(月)17時38分28秒
   がーん、「喜びのビスケット」って、ヒルデガルドのビスケットのことでしたか。その話が出た時、何か日本の教会で配られてるようなものだと思ったので、ホスティアをもらえない人もいっしょに分かち合えるような何かかなあ、と思ったんです。前のご質問は、私が自分でヒルデガルドのビスケットをつくって食べてるかということだったんですね、ひょっとして。レシピを紹介しときながら、「それ何?」なんて言って非常に失礼しました。すみません。
 敢えて弁解しますと、サイトに入れた時は「喜びのビスケット」と日本語訳しましたが、もとの本はフランス語訳なので、私の脳内ではBiscuits de la joieとフランス語でインプットされていて、しかも、作る時には、「ヒルデガルドのビスケット」って呼んでるんです。だからぴんと来ませんでした。
 でも、情熱の炎とか、そういうのは私にはないです。ちょっとおしゃれかなあとか、中世のレシピって、エコロジックそうでヘルシーそうだし、とかいう感じです。中世専門の隔月刊雑誌があって、そこにいつも中世のレシピがありそれも気に入ってるんですよ。
 文字通りの材料じゃなくても、喜びを分け合おうという気持ちがあれば、いいんじゃないでしょうか。ビスケットって、保存がきくし、たくさん作れば炊き出しの時におやつとして持って帰ってもらえることもできますよね。
 マリアマグダレナ・マーマレードもしりませんでした。おいしそうですね。マリアマグダレナの「マドレーヌ」ってフランス語は、有名なマドレーヌって菓子パンもそうですが食べ物とからめてよく聞く名です。マドレーヌという名自体がポピュラーだからだしょうね。
 ヒルデガルドのレシピの中で気に入ってるものまた紹介していきますね。
 

喜びのビスケット

 投稿者:マツオ  投稿日:2008年 1月14日(月)13時16分44秒
  喜びのビスケットについて書かれてあったので ちょっと一言。わたしも喜びのビスケットについては大変関心があってネットで時折調べておりました。http://ha2.seikyou.ne.jp/home/bamboolavo/hirdegarde.htm に詳細が書いてあります。「ヒルデガルドの部屋」というコーナーです。わたしはこの記事を見て 情熱の炎がめらめらと燃え上がりました。喜びのビスケット…おお なんという素晴らしいネーミングだ!自分はぜひともこのビスケットを食べねばならぬ!この涙の谷で嘆き悲しむ人々にそのビスケットを配らなければならない!とミッションを感じたのです。だが この材料が料理に詳しくないわたしにとって見つけるのが難しくその計画は頓挫しています。去年は教会のバザーで「この喜びのビスケットを作ろうじゃないか!」と熱く呼びかけたのですが 守旧派に敗れそれもできませんでした。
 しかたなくマリアマグダレナ・マーマレードでがまんしているんです。
 

歳末のご挨拶

 投稿者:朝川 渉  投稿日:2007年12月30日(日)21時55分37秒
  竹下さま、管理人さま。
今年はどうもお世話になりました。来年は「イエスさんは宇宙人だった」という学説を立証するために全力投球することを誓います。努力目標はともかく、おかげさまで現実的なキリスト教文化というものが少し分かりかけてきました。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/index.htm

 

聖女に囲まれて

 投稿者:太陽丸  投稿日:2007年12月25日(火)09時22分19秒
  お返事ありがとうございました。まずは、ディメンジョンという単語をあわてて調べさせて頂きました。そうですか、寸法ですか、否、広がりですよね。
教会では大きく二つに分けるとしたら、ご近所的な「あらまあ、なにさん、おほほほ」派か、ごく自然に人間関係をゆるやかに、しなやかに、広げていく微笑ましい派に整理されると思います。私は、できれば、後者の方でありたいと思っています。趣味の問題だとは思いますが。
スピリチュアルな場所に知人、親しい人と行くと、また、違った感慨がありますよね。そこが、面白いなあと感じます。私の父親は、極めてノーマルな典型的サラリーマンで、宗教的にも標準的というか、無宗教で、ついてきたことに驚きました。やはり、家のあちこちに、キリスト的な読み物やスローガンをはってばらまいていたので、深層意識になにか、刷り込まれた効用があったのかもしれません。
そして、まさに、父はお説教の最中に、すやんすやんと実に気持ちよさそうにお眠りになって、リフレッシュされていました。父は前方に4、5人の聖女達と右にわたくし、後ろは例の音楽教師、最後、左側への逃げ道を防ぐような形で牧師さんがいらしたのですが、その重圧にも負けず、みなさんに温かく見守られるなか、お眠りになりまして、ささやかな汗を感じました。丁度、いい温度だったとのこと。
スピリチュアルな場というのは、私の信じるイエス・キリストの神様だけでなく、きっと、他の神様や武術的な霊場として、複数存在するのかなと思っています。また、それは、地理的なものだけでなく、サイトという電気的な場や交流のなかにも、当然、立ち現れるだろうと考えておりまして、例えば、まさに、ここであったりしますよね。一つの福音に感謝いたします!
そうですよね。たしかに、教会にいける立場のありがたさに鈍感になっておりました。金銭、時間のみならず、ある種の啓示的な恵みも頂いているのですから。これからは、来れない人全てのために、少しでも祈らさせて頂こうと思います。
積極的な思いやりの想像力はイエス・キリスト的ですよね。最近、つくづく、身にしみます。自分の想像力の鈍感さが。
 

なんですか?

 投稿者:Sekko  投稿日:2007年12月23日(日)04時52分40秒
   なんですか? 喜びのビスケットって。
 教会で食べるもんなんですか? まあ、喜びって言うんだから、分かち合いのシンボルなんでしょうね。よろしいんじゃないですか?
 お父様とそういうところへ行くというのも、時間に追われたり功利的な考えにとらわれるのと別世界でのリフレッシュみたいでいいのでは、と推察します。
 私は教会で結婚式した人が結婚記念日にその教会のミサに行くとかいうのはすごくいいなあと思います。神さまが仲人って感じで、素直に初心に帰れたりして。
 教会の活動のコアになって活躍してる人、みたいなのは個人的には苦手なんで、教会で誰かに会いに行くというより、そういうスピリチュアルな場所に誰かを連れて行って、人間関係のディメンジョンをちょっとひろげるという感じが好きです。
 スピリチュアルなパワーのある場所というのは確かにありますね。古い教会だの寺社などは、もともとそういうところに建てられているのでしょう。
 宗教質問箱に質問が来てましたが、日本のような国で、日曜日に教会に行ける人というのは、仕事とか時間とか地域の面でも恵まれた人なんでしょうね。
 そういうことを思うと、それができる人は感謝しなくては、と思います。でも、行けなくても気にしなくてもいいのでは? ていうか、行ける人は来られない人すべてのために祈ればいいんで、来れない人を排除するようになりませんように、って感じます。
 

竹下様へ

 投稿者:太陽丸  投稿日:2007年12月21日(金)19時59分27秒
  あれからも、時おりですが、例の教会へいっておりまして、適度に献金もしております。
教会での教えや雰囲気に対するささやかな違和感は別にしても、教会にいくと神様の存在を感じやすいと思うのです。このことを、「国家の罠」で有名になったインテリジェンスの佐藤優さんという方も指摘しておりまして、少し確証が強くなったのですが、竹下さんはどうお感じになりますか?一人で本やインターネットなどから神様との関係を継続していく方法も良いかなと思っていましたが、やはり、教会という場所で共に祈る行為、思いを共にする場の力はなかなか素晴らしいと思うのです。
ちなみに、先日、教会にいく前に、勇気を奮って、父親を誘ってみたら、そういうことにわりと無関心な方なのに乗り気の返事が返ってきたので一緒に行って参りました。
横で共に祈る父親との姿を見て、これまで、このような情景は想像外だったので現実感希薄な映画のような感覚を覚えました。

それと、喜びのビスケットを召し上がられてるのでしょうか?是非、お聞かせください!
 

巡礼さん

 投稿者:朝川 渉  投稿日:2007年11月28日(水)22時01分11秒
  >「ガイアの思い出に」と献辞を入れたのは、その猫の名前です。
ねこちゃんも天のルルドの泉のほとりにいて、癒されているでしょう。「アメリカに「NO」と言える国」にもねこちゃんとその母親のお顔が写っていますが、このねこちゃんは、ガイアではなさそうですね。

巡礼地での情熱といえば、四国八十八個所のひとつで休憩したときを思い出しました。仕事で移動中だったんですが、なんとかという寺で一休みしていたら、20歳くらいの若者が、小さな石仏やほこらを拝んでいました。静かな様子なのに、どことなく近寄りがたい雰囲気がただよっていました。ちょっと、言葉では説明しにくいですが。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/index.htm

 

朝川さま

 投稿者:Sekko  投稿日:2007年11月26日(月)09時02分17秒
   お返事おそくなってごめんなさい。

 ルルド、来年は、御出現150年記念ですね。行ってみようと思います。
 2000年の大聖年のヴァチカンには巡礼者が1000万人訪れたと言いますし、メキシコシティのグアダルーペのノートルダムの聖堂も訪れる人が年間700万人だそうですが、いずれもローマやメキシコへの観光客と純粋な巡礼との区別は難しいかも、です。ルルドは、ほんとに何もないところに泉が湧いて巡礼地が出現したので、そういう感じの所ではやはり群を抜いて人気なんでしょうね。
 2002年に非キリスト教信者の大学生たちといっしょにルルドに行った時の話を『聖女の条件』という本の中で書いたことがあります。
 『奇跡の泉ルルドへ』は、大分前になります。執筆中、ちょうどその頃いた猫が医療過誤で死んでしまい、「そこいらの野良猫は生きてるのにどうしてうちの可愛い猫が死ぬんだろう」という不当感に襲われていたところだったので、病気を抱えた人、病気に負かされる人や、その家族の思いなどがひときわ切実に感じられました。
 「ガイアの思い出に」と献辞を入れたのは、その猫の名前です。

 こういう巡礼地にいくヨーロッパの人の情熱は、一部のアメリカ人の持つ宗教への情熱とはちょっと違う感じがしますね。つまり、宣教とか布教的な情熱はなくて、まあ、迷信的といって悪ければ人間的な「何かにすがりたい」という気持ちでしょう。それがカルト宗教などに取り込まれないで、懐の深い解放的なルルドのような巡礼地に受け入れてもらえるというのはラッキーですね。

 こういう巡礼地では、誰でも一種のイニシエーション体験があって、死生観が刷新されるところがいいです。「病も死もまた、生の一部である」ということを気づかせてくれます。
 ルルドにいっしょに行った学生が、「こんなとこで死にたい」ってつぶやいたのを思い出します。
 

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