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おくればせながら

 投稿者:太陽丸  投稿日:2007年11月25日(日)22時27分37秒
  そうですね、自分のロジックで神様を捉えていたようです。多分、神の愛は、深くさりげないので、気づきにくいのかなとも思います。
大羊さんの指摘のように、もう少し素直に感性豊かに捉え直してみようと思います。俗にいう、左脳タイプかもしれませんので。聖書にかぎらず、どんなアドバイス、教えも、その人の感性、センス次第なところがあると思っています。

本能と理性のバランスをうまく、愛の精神、決断の方向へ統合、昇華していきたいと思っています。常に、未熟さ、罪深さを意識しながら。

お忙しいなか、レス、ありがとうございました!
 

ベルナデットのこと

 投稿者:朝川 渉  投稿日:2007年11月24日(土)20時51分32秒
  NAOさま、ありがとうございます。竹下さんの著書は、1冊ずつについてどうこう批評するのではなく、それぞれの著書を関連づけて、トータルで眺めれば良いのでしょうね。なんて大きなことを言っていると、手に負えなくなりますが。
それと、ルルドの泉の元になったベルナデットは記憶力はさておき、すごく利発な少女だったのかなという印象をもちました。
 

お礼

 投稿者:nao  投稿日:2007年11月24日(土)09時05分45秒
  朝川さまのサイト、本の解説がわかりやすく、とてもたすかります。ありがとうございます。  

ルルド

 投稿者:朝川 渉  投稿日:2007年11月23日(金)12時02分15秒
  いま「奇跡の泉ルルドへ」を読んでいる途中です。70ページあたりまでは小説として読んでも面白いです。つくり話という意味ではなくて、竹下さんはすぐれた表現力をお持ちだという意味です。
ハリソン・フォード主演の映画「インディ・ジョーンズ」シリーズで聖杯伝説と十戒を収めた神輿(みこし)の伝説が使われていますが、これらは単なる子供だましだと思いこんでいました。だからルルドの泉も、日本でいえば岐阜県の「養老の滝」みたいなものかと思って読み始めたら、そうではないですね。世界最大の巡礼地なんですか。
ヨーロッパは一般的に、宗教への情熱はアメリカよりも冷めていると理解していたのですが、認識を改めたほうがよろしいでしょうか。

http://katatumuri.takara-bune.net/index.htm

 

信用と危機管理

 投稿者:Sekko  投稿日:2007年11月17日(土)01時45分34秒
   多分、私たちがある人を「信用してもいいかな」と測るのは、過去のデータの分析とか経験知による、危機管理の問題なんでしょう。世の中には残念ながら悪意も満ちているので、分別や理性的判断を私たちが失わないようにするのは大切なことではないかと思われます。

 で、神による赦し、信頼の回復って、危機管理と関係ないんですよ、きっと。

 神さまは理性的でないんです。

 理性って、人間の智恵ですよ。すごく大事だと思いますけれど。私は智恵の実を食べるのは大好きです。

 太陽も危機管理をしません。

 すごく悪いやつにでも平等に、惜しみなく 光を注いでくれます。悪いやつを日のあたらない独房に閉じ込めるのは人間なんです。
 幼い子供を虐殺した者の一日にも、子を失った母のそれと同じように陽が昇る。

 私たちは何かを受け取る時に、あるいは要求する時に、期待するときに、「ふさわしい」かどうかを測ります。

 今の世界の成果主義とか、コストパフォーマンスなんかの考え方と似てます。

 自分があることに、「ふさわしい」かどうか、人は自問しがちです。
 同じ刃を外に向けて、「ふさわしくない」他者を排除しようともします。

 それは、生存上の自己防衛のシステムもあるのでしょう。

 多分、神はそういうロジックでは動いていません。

 神には、命令し、査定し、懲罰を与える神もいるようですが、キリスト教の神は、イエスに罪を購わせてチャラにして、そういう懲りないゲームをやめてしまったみたいです。
 そのおかげで、私たちは、「ふさわしいかどうか」を裁かれることから解放されたようです。「ふさわしい」からではなく、「必要としている」から、信用してもらえる、赦してもらえる、与えられるようになったのでしょう。

 多分、愛というのも、理性やふさわしさの次元を超えたところにあるんでしょう。理性を働かせる時にも、万人の上に注がれている太陽の暖かさを常に感じていたいなあと思います。

 太陽丸さんは、おかあさま思いなんですね。おかあさまによろしく!
 

わりに福音派、歓迎いたします

 投稿者:太陽丸  投稿日:2007年11月16日(金)16時33分31秒
  自己紹介のあと、「・・歓迎いたします・・」と言われて、顔・表情筋は全く歓迎していないことも分かりました。
献金のときには、その有無も言わせない、押し寄せるうねりの中で、まさに不可抗力ともいえる抗いたい場の誘惑に負けて、小額ながら献金して参りました。もし、献金しなければ、それこそ、マイノリティ・オブ・マイノリティになる不安と(参考書代と質問代とトイレ使用料の件もあるし、とマッハで理由をこしらえました。)

・・そうですよね!素直によってこない人は面倒くさいみたいな雰囲気は敏感に伝わります。もし、その教会、牧師さんの器が真に大きいならば、様々な器の人をおおらかに冷静に対処できるはずだと思うのです。牧師さんが、イエスの言葉を体現化するようなレベルに達していたなら、こんな若造がちょっとそっと、疑問に思うことを率直にぶつけたところで、くさいものにふたをするようなことはしないで、もっとおおらかにいつでもカモン、いつでもどんな下らないことでもレディOKと余裕をもって対するのではないかと思うのです。竹下様のように?
なので、わたくしも、節子様のように、そのような集団とは距離をおきまくろうと思います。もちろん、イエス様への信心には心を開いたままに。まあ、何派に属していても、大切なのは、イエス様への真摯な姿勢ですよね。とうか、紳士な心の実践?(紳士が座右の銘です。父のは、言えません)
求めよ、されば与えられん、に従って冷静な距離感覚や判断力はまめにチェックしながらも、イエスやキリスト教へ近づく気持ちは大切に保ち、さりげないメッセ−ジへの感度は上げておきたいと思います。実際に、勘違い、思い込みの類かもしれませんがキリスト教に意識がコミットしだしてから、ささやかなメッセ−ジらしき事が明らかに増えております。仏教のときには、そういう感じはなかったのですが。思い込みだったら、笑えますね。いや、泣けますとも。
赦しについてですが、信頼は信用と置き換えてもよいのでしょうか?日常的にもうあいつのあの面はもう絶対信用しない、油断しないと用心することはあります。例え、神様でも、なにも、その人の例えば、盗みだったり、暴力への悪い傾向そのものへの信用レベルは低下させてもよいのではないかと思うのです。人間存在の根底は深い次元で愛して、しかし、その愛している各人の各々の罪的傾向そのものは油断はしないで充分だと思うのです。
まあ、私の当座の感覚、感性で充分だと感じるだけで、神様の感性ではちっとも充分じゃない、ピントはずれなおかしな人ね、なのかもしれませんが。
そもそも、人はある意味で膨大な傾向の集積を発露しうる存在ですよね。卑近な例では、几帳面か否、笑顔が多いか否、食べるのが早いか否。そうした延長でいじめる傾向が強かったりするとき、神様でも、その発露する傾向そのものはその人に呼応するイメ−ジとして認識して、なにも、あえてその悪しき傾向まで信用しなくていいと思うのです。あなたの存在は根底部分で愛するけれども、あなたの抱えている、発露しうる膨大な思言動の内のその罪的、悪的傾向そのものは、愛さないよ、信用しないよ、油断はしませんよ、というスタンスでもよいと思うのです。もし、曲解していたらごめんなさい。(かなりしつこいですね。バプテストでなくとも、誰でもめんどくさいやつと感じるだろうけれども、そこをなんとか)

でも、神様があえて、その悪しき傾向が起きやすいと十二分に認識、予測し、悲惨な不利益、被害を被るのも覚悟したうえで、その悪しき傾向も含めてその人全体への新鮮な良感覚を再び呼び戻すならば、まさに常人の真似できない神業ですね。普通は、恨み、怒り、不安、トラウマなど完全に消去して、その人への真に100パ−セント新鮮で良い感覚(信頼ポイント100)を賦活するなんてできませんものね。
放蕩息子のお話も現代では、引きこもり促進への不安もあるし、そう心安らかに信用できるものでもありませんよね。ネコならともかくおっしゃるように。
信用、信頼を完全復活は難しくとも、仏教であるような、諦観(あきらかに見極める)というぐらいの、完全ポジティブではないが、極力ネガティブを排除した妥協、許容ラインを維持するというのもク−ルで良い知恵だと思います。ちょっと、五木寛が喜びそうですが。
まあ、竹下様クラスならば、ひそやかに、神様に告げ口してもらいたいものです。(危険なので、子供は真似しないように)
誰かに、お前のことはリスペクトしているといわれたら、手放しで喜べませんね。
私も、俗にいう悪い人に、過剰な期待感はリスクがおおきいので、その傾向やそこから派生、予測しうる不誠実な傾向とその認識へは諦観という形で妥協しようかな、やりすごそうかなと思いました。しつこいのですが、神様はその悪しき傾向へも諦観せずに、リスクをしりつつ、信頼ポイント100でもって、高−い期待をもっているのでしょうか??
期待というとすごく近くて過剰な感じで危ういですが、たしかに、希望は、希望の星ではないが距離感がグッとでて安定感をもった視野になる気がします。

信頼とは期待でなく希望である。これまた、名言一句、頂戴いたしました。母に捧げます。
でも、よく考えてみたら、昔、著作を通してお目にかかった、超一流と直感する方が、小さいものから
大きいもの問わず、気軽に広く活発に交流してくださることの、なんという福音でしょうか!!!何デシリオンにかんさんされますでしょうか!否。(少し、その感覚が麻痺してきたので、自戒よろしく)
そして、どれだけ、いろんな形ではげまされたことか!!

                           ps、猫はお元気でしょうか
 

赦しはリスペクトで・・

 投稿者:Sekko  投稿日:2007年11月14日(水)20時57分55秒
   太陽丸さんへ

「受付のおばあさんからは、無言の行でもうこなくてよろしいですのよ、というオ−ラが背中からスパ−クするのを目の当たりにしました。」って笑えます。
 日本では、キリスト教自体がマイノリティだから、その共同体にはマイノリティの共同体特有の雰囲気が生まれやすいってことはあるでしょうね。
 「素直に擦り寄ってこない人は排除」的なグループって、何につけ、私は内でも外でも苦手なんで、距離を置きまくります。
 そんな真摯な雰囲気があったということはバプテスト派でも福音派系かもしれませんね。カトリックならもっとヌルイだろうなと思ってました。

 このサイトの宗教質問箱の方にも、日本でのキリスト教との近づき方について、いろいろ意見が交わされているので参考になさってください。

 キリスト者にとっては教会との結びつきは大きいことですが、無理に出入りしなくても、「神に呼ばれるまで待つ」みたいな感じでいいんじゃないですか? また、逆に、ある宗派に属したとしても、自由な感覚を持ち続けることは可能だと思います。それには、全体主義的な指導者のいる共同体は避ける、というのが大切でしょうけど。
 存在を丸がかえして欲しい、というような心境や体調の時には、具体的な宗教共同体にとび込まない方がいいかもです。判断力が狂ってますから。信頼できる個人か、書物の方に向いた方が安全です。

 キリスト教の赦しについて、私が今までに一番納得したのは、「罪がなかったことになるとか忘れてもらえるのではなく、購わなくてはならないが、赦されるというのは、信頼を100%回復してもらえることだ」という言葉でした。
 まさに神業ですよね。それくらいの寛容と信頼の能力がなければとても神さまやってられないだろうなーって感じです。ごめんなさい、悔改めますって言いながら心の中で舌を出している人なんていくらでもいるでしょうから。また、浮気やギャンブルが発覚して奥さんの前で土下座してその時だけは本気で後悔していても、喉もと過ぎれば・・・って人のように懲りない人も多そうです。
 私は、個人的には、もしひどいことされたりしたら、その人を100%信頼し治すなんてとてもできません。恨みとかじゃなくて、トラウマが残って、逃げ腰になるでしょう。でも、もし、自分が間違った時に、どんなひどいことをした後でも、神様が信頼ポイントを100%回復してくれるとしたら、すごく励まされます。子供でも「あの子はどうせああいう子だから・・」なんてレッテルを貼られるとますます悪くなりますよね。「うちの子は絶対信頼する」って言ってもらえたら、ほんとに改心できるかも、です。
 絶対にうちから追い出さないし、もし出てっても、帰ってきたら無条件で迎えてくれるとかいう「放蕩息子」の話とか信じたいです。でもあの息子も、また懲りずに出てったかもしれないですね。
 それで、私は、一応努力して、信頼を回復しないまでも、リスペクトを保つように努力します。たとえば、私や私の大切な人を傷つけた人の「存在をまるごと愛する」なんて、私には不可能ですが、その人は神からは100%信頼を回復されているのだと思えば、愛さなくともリスペクトができますから。まあ、「神さま、あいつはダメ、信頼したらまた裏切られますよ」って老婆心で告げ口したいようなこともありますが。
 それで、私が「悪い人」に対して抱くリスペクトなんて、限りなく「あきらめ」の感情に近いんですが、へんに期待するからだめなんで、根拠がなくても希望を持ってればいいのかもしれません。信頼とは、期待でなく希望なのかも。
 

小さい物

 投稿者:太陽丸  投稿日:2007年11月14日(水)16時01分35秒
  ええと、あわててパンフレットを調べてみましたらバプテスト派でした。一口にキリスト教といっても、いろいろな宗派があることさえ無頓着に3回も参加して、献金してきました。
私は、男性でして、同性の視点から見て、真摯な印象は確かに受けましたが、老若男女バランスよくいていかにも田舎の普通な教会という感じです。真摯な男性ばかりというわけではないと思います。ちなみに、外国人は宣教師のお1人の方しかまだ、みていないです。
雑多で多様の条件は満たしているとは思いますが、違和感や疑問もたくさんあるのも事実で、その疑問を声高らかに、礼拝終了後の余韻あふれるときに、つきっきりのマンツ−マン指導の宣教師にぶつけてみました。納得のゆく応えはあったりなかったりでした。受付のおばあさんからは、無言の行でもうこなくてよろしいですのよ、というオ−ラが背中からスパ−クするのを目の当たりにしました。でも、もう一回くらい論戦を挑みたいと思います。
ちなみに、竹下さんの存在を知っていなかったので、そこでも、ひとつ、不信感が強まりました(笑)。笑えないか。
歌は確かに、みんな上手ですね。ななめ後ろの女性の歌声が、小学校時代の音楽教師そっくりで驚きました。これだけでも、ついていけなそうと弱気になります。確かに、歌が不得意な私みたいなタイプには少しつらいです。いや、歌うこと自体は好きなんですが。
人生の不可抗力ですか・・、それも、時と場合によっては赦されるのでしょうか?父にいっておきます。座右の銘にするようにと。
教会に、あえて、属さない形のクリスチャンとして、バランス感覚と洞察力を、まめにチェックしたり、このような形でチェックしてもらいながら、歩き続けるのもク−ルなやり方ですよね。バランスのとれたクリスチャンって、仏教からもきちんと、良いものを見極めて吸収するような柔軟性を持っていますよね。枠にとらわれずに、他宗派や、いろんな著作、経験からセンスの良い消化吸収ができるようになりたいです。竹下さんは、このやり方はどう思われますか?よろしくないでしょうか?
あと、赦すって、際どいバランス感覚が問われると考えておりまして、なんでもかんでも、私はもう、忘れました。赦しますだけではリスクが大きいですよね。あなたの罪そのものは、すなわち、傾向として生じやすいだろう予測されうる、あなたのカルマへのク−ルな対処は講じるけれども、あなたの存在そのもの、あなたのなかの、イエス(聖性)は深い次元で愛するという理性的な姿勢が大切だと。聖書は字義どうりに、解釈してよいケ−スもばかりではないですよね。まだ、甘いですか?存在そのもの丸ごと愛すべきでしょうか?
あわてて、愛あるフォロ−してくださいまして、こちらもあわててレスポンスさせて頂きました。大忙しいなか、時間とエネルギ−と思いやりを、小さい者に割いていただき感謝いたします。
 

近所の教会って・・・

 投稿者:Sekko  投稿日:2007年11月12日(月)21時46分18秒
   その教会って何系の教会ですか?
 疑り深くて我ながら嫌ですけれど、若い女性向きの「真摯な男たち」がいまどき集まってるなんて、それだけでちょっと異様なんじゃないですか?
 それともそこは「ナンパな外国人」じゃなくて「真摯な外国人」が集まってるとか?
 どちらにしても、人の集まりは人の集まりに過ぎないんで、雑多で多様が基本だと思いますよ。まあ、聖歌を歌うときに真摯になるってのは分かりますけど。歌うのが好きな人たちなんでしょう。歌が嫌いな人は教会に行く楽しみは半減かな、と私は思うんで。
 浮気のリスクも、わかんないですよ。そもそも「真摯な人」の浮気は事故のようなもので、人生の不可抗力だったりしますから・・・
 すいません、水を差すようなことを書いて・・・
 あわててフォローしますが、私は教会は好きですよ。歌うのも好き。場の力とかについて考えるのも好きです。「真摯な人」もたくさん知ってます。教会の内にも外にも。その「真摯」さが信仰と結びついてる人は羨ましいなと思います。それはその人の神への信頼に由来するものであって、他人に見返りを求めるものではないから。そうでないと、その人は浮気しなくても、こっちの浮気も絶対に許してくれないでしょうから。
 

先日はありがとうございました

 投稿者:太陽丸  投稿日:2007年11月12日(月)21時10分27秒
  実は、まだ、エロイ−ズの手記を読んでないのですが、なるべく早く読もうと思います。
ところで、先生の刺激を受けて、キリスト教への関心が高まり、初めて近所の教会へ行って参りました。
聖歌、賛美歌を歌うのが恥ずかしいと感じると同時に、なにかしら素晴らしい作業だなとも思いました。巷には、なかなかお目にかかれない真摯な雰囲気の方々を見ているだけでも、嬉しくなります。著書でおっしゃっているように、ナンパな外国人フェチなんかやめて、このような真摯な男達に若い女性は目を向けたほうが良いのにと思います。少なくとも浮気のリスクは極めて少ないですよね。
先生の著書は何冊かもっておりますが、興味深い本がたくさんありますので、これからどんどん読んで、感想を送らせて頂きたいと思います。半開きの目で結構です。
 

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