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東北福祉大学

 投稿者:和雄  投稿日:2009年 4月 8日(水)09時59分43秒
  私のブログを見ましたら昨年の7月10日の記事に、「昨日の新聞で見ましたが、クラスノヤルスク国立大学と東北福祉大学がOOの協定を締結とありました」。
1週間くらい前のBSテレビで、ヤクーツクから北北東に800キロ行った「世界で一番寒い村」をやってましたが、50代と思える日本人男性が訪ねた2月の夕方でマイナス46度、マイナス70度を下回る事もあるみたいですけど、薪で沸かした湯を循環させている室内はプラス20度、その温度差90度で生活する人間の逞しさをみました。
米国ネバタ州のデスバレーではプラス50度を上回る日があるようですが、人間ってけっこう逞しいんですね。個人的にはハイビスカスやブーゲンビリアの咲き乱れる地が好きですけど、近くのロシア人が、雪が舞っている2月の屋外でバーべキュウをして居るのを見ても驚かなくなりました(笑)。
 
 

大学間協定

 投稿者:kokatano chihaメール  投稿日:2009年 4月 4日(土)14時20分29秒
  2005年頃はクラスノヤルスク国立総合大学、教育大学、工業大学、技術大学 森林大学、農業大学、金属大学、航空飛行大学、芸術大学などありましたが、いま統合しているかもしれません。明治大学とクラスノヤルスク教育大学ですか。あり得そうです。東北福祉大学と相手はどこでしょうか。

http://homepage2.nifty.com/enisei2580

 

クラスノヤルスクの大学

 投稿者:和雄  投稿日:2009年 4月 3日(金)13時45分50秒
  やっと春らしくなりましたね。先週木曜日は日本武道館で明治大学の卒業式でした。その明治大学がクラスノヤルスク教育大学と大学間協定を締結とありました。昨年は東北福祉大学がクラスノヤルスクの大学と協定を締結とありましたが、クラスノヤルスクには大学は幾つあるのですか?。
ダーチャ、興味深く読ませて頂いてます。
 

2008年夏

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2009年 3月31日(火)19時18分4秒
  2008年夏の記事が3稿アップされました。『ダーチャ(下賜されたもの)ロシア風別荘』は旅行記というより、主にクラスノヤルスクのダーチャについての(未完の)まとめです。

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カウンター

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2009年 2月 6日(金)17時36分3秒
  カウンターの数字が5555となりました。カウンターを設定したのはサイトを公開してしばらく経ったころですが。

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忘れ物

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2008年10月 4日(土)10時34分14秒
  豆男さん。
 今回もウラジオストック、ハバロフスクの極東から、クラスノヤルスクなどのシベリア、それにモスクワと、2週間で回るのですか。飛行場で待機している時間が長そうですね。日本のようにスキップサービスもなく、大幅遅延もたびたびですから。今頃のシベリアは日本中部の冬より寒いかもしれない気温ですね。

 実際はお仕事(が中心)で出かけられるのに、日本旅行社に作ってもらった観光ビザでいらっしゃったのでしょうか。たいていの方はそうやって、年に数回1-2週間程度の期間、出かけているようですが、最近は問題になってきているのですか。
 マルチビザはロシア側受け入れ先が保障しなくとも、日本のロシアビザセンターのような期間を通じて取得なさったのですか。
 私は、個人招待ビザで親戚知人訪問と言うかたちで出かけています。年に2回程度なので、これで問題になったことはありません。(外国人用ロシア居住証明書で廻っていたときは、冒険が多かった)

 忘れ物と言うのは地図帳です。他に『クレムリンの秘密』と言う本も忘れたのですがこれはハードカバーなので重いです。クラスノヤルスクの本屋で買って(最近本の値段も日本並みになってきた)その知人のところに忘れてきたのです。
 もし、先日の冗談が本当になるのでしたら、地図帳のほうだけでも、持ち帰っていただけないでしょうか。これは高校生用(中学生かも)で、地図のほかにもいろいろ面白い『地理』のことがあいてあるのです。10月16日にオクチャブリヤ・ホテルに「どなたに」と言って届けるといいですか。

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名前と姓

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2008年10月 1日(水)17時10分49秒
  和雄さん。
 見知らぬ言葉で話したり、見知らぬ土地に第一歩を下ろした時のときめきは、本当にすばらしいものですね。といっても、少し大げさに聞こえますが、知らない言葉の中でロシア語が聞こえると、一瞬母国語のように思えたり、クラスノヤルスクに到着して車で街中を通っていると、日本に帰らずに、ずっとここに住んでいたような気になったりもしますが。
 硫黄島にしても、クラスノヤルスクのタルガシノ丘に眠る遺骨にしても、思いやると憂鬱になります。
 ロシアで一番多くある男性の名前はセルゲイ、女性はエレーナだと読んだことがあります。統計上多い名前は2せいぜい20個ずつくらい。『ロシア人の名前』と言うロシア語の本でした。
 名前に比べ姓はとても多いですね。イヴァノフとかペトロフとかシードロフと言うのは一度聞いただけでわかりますが、何々スキーとか、何々コ、何々イン、何々オフ(上記3つの姓もこれに含まれる)とか、それ以外の自由形とか、実に多様です。『ロシア人の姓』と言う本もあって、姓の由来、その姓の変化形など細かに説明してありました。

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ナターシャ

 投稿者:和雄  投稿日:2008年 9月22日(月)15時41分44秒
  そうですね、プーチンさんもウラジミールですよね。ウラジオストックからKrasnoyarskに行くKras Airの客室乗務員の一人も、胸にナタリアというネーム・プレートを付けて居ました。私の名前も字こそ違え同年代では五万と居ますので、同じですね。先月ウラジミールさんの家に招かれた時は、家内が不在で私一人でしたが、ご婦人が私に「オクサン、ナマエ」と言うので、おかしいと思いながらも家内の名前を答えましたが、どうも通じない様子。彼女の名前が「オクサーナ」さんである事が分かって大笑いしました。他にもエレナさんという女性や、ゲオリキさん、イーゴルさん、ワシリさんが居り、この内二人の男性は日本語をほどほどに喋ってくれました。
貴女の前で大きな事は言えませんが、見知らぬ言葉で話したり、見知らぬ土地に第一歩をおろした時のときめきはいいですね。
先日硫黄島をテレビでやってましたが、2万1千人以上の日本兵があの島で亡くなって、まだ1万3千柱以上の遺骨がそのままとか・・・・。自衛隊員や気象庁の職員が住んで居て日本の主権が及ぶ土地でこの有様、Krasnoyarskのタルガシノの丘に眠る伯父さんの遺骨が、彼の両親(私の祖父母)が眠る小平霊園に帰れる日はなさそうです。
でもロシアを恨んでは居ません。30年以上も昔にフィリッピンの州政府に2年間勤めて居た時、日本兵がどれだけの悪行をフィリッピン人にしたか、現地の人からさんざん聞かされましたから・・・。戦争は一部の指導者を除いて全てが被害者だと思います。
英国のリバプールにも私の大叔父が眠って居まして、一昨年墓参りに行って来ましたが、こちらは100年も前に自分の意思で日本を飛び出し、フロリダ、アマゾン、ニューヨークからLiverpoolに渡って亡くなったのですが、Krasnoyrskに眠る伯父さんは自分の意思で行ったわけではないので、可哀そうに思ったのです。
 

方言

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2008年 9月18日(木)17時06分15秒
  豆男さん
 最近南シベリアで日本人のルーツを探しているそうですね。
 ネットの紀行文をぜひ本にしたいと思っています。自費出版の費用が稼ぎ出せた時に、の事ですが。
 豆男さんは年間何回くらいロシアに行かれますか。私は『居住許可証』を失効してからは年2回ほどしか行きません。ビザは自分で3ヶ月のを取っておいて、その期間内の都合のよい時期に2-3週間出かけています。マルチでもそのままでは180日間しか有効でないなら、3ヶ月用の1回ビザでもいいのでは。これは無料で発行してもらえます。
 クラスノヤルスクにいつごろ滞在のご予定ですか。もしかして、忘れ物を届けてもらおうかしらん(半分冗談)。
 モスクワっ子のロシア語は長く伸ばして歌うように発音するといいます。その方が外国人の私にはわかりやすいです。
 広いロシアにあまり方言はないようです。モスクワのロシア語と極東のロシア語はほぼ変わりません。ただウクライナに近い地方では"Г"の子音をちょっと気取った音で発音します。また、アクセントのない”o”を”a”と発音しないで”o”と発音するそうですよ。
 でも、ロシア語を母国語としないロシア住民、たとえば、グルジア人やアルメニア人、(田舎の)サハ人やトゥヴァ人、北方少数民族の方たちのロシア語には訛りがあって、外国人の私でも気がつきます。
 一番わかりにくいのは、(失礼ながら)教養のない本物のロシア人がスラングで話したときです。
 ですから、ウラジオストックのお知り合いのロシア人は、豆男さんにちょっと冗談を言ったのです。

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ナターシャにヴォロージャ

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2008年 9月18日(木)16時29分58秒
  和雄さん
 ロシアの学校や大学のクラスに入ると(日本のように多人数クラスではない)ナタリアちゃん(ナターシャと愛称で呼ぶ)は一人以上は必ずいます。たまには15人ほどのクラスに3人もナターシャがいることがあって、私は混乱するのですが、本人たちは自分が呼ばれているのか他のナターシャが呼ばれているのかよくわかる様子。
 ウラジーミル(つまりヴァローじゃ、もっとチビちゃんだとヴォーヴゃと呼ぶ)も同様。 なぜ同じ名前が多いのかと言うと、聖人や親戚、友人、恩人(?)から名前をもらうからと言うほかに、無難な名前で目立たないように、と言うことや、少数民族が自分の子供に典型的なロシア名をつけたから(強要されてかどうかは知らないが)だそうです。
 レーニンもプーチンもウラジーミルでしたね。
 その方は東京に本宅があり、群馬県に別荘があるのでしょうか。別荘好きなロシア人ですね。

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ロシア人ご一家

 投稿者:和雄  投稿日:2008年 9月17日(水)15時18分7秒
  名刺を見るとコンピューター関係の仕事らしく、博士の称号をお持ちのようですが、私の事も聞かないから、こちらから相手の事も聞きませんので、まだ詳しい事は知りません。大田区に住んで居て、金曜日の夜来て日曜日の夜帰って行きます。一人娘で13歳のナタリア(この名前はロシアでは多いみたいですね)ちゃんは、小学校1年から日本の学校に通って居るので日本語はペラペラ、ご主人のウラジミール(この名前もロシアでは多いみたいですね)さんは英語も日本語もほぼペラペラ、奥さんのイリーナさんはロシア語とギリシャ語で、日本語は少ししか話せません。我が町が米国モンタナ州のリビングストン市と姉妹都市ですので、今までアメリカ人は1泊から2週間にわたって11人ホームステイで受け入れましたが、まさかロシア人とお付き合いするようになるとは思いませんでした。先日イリーナさんとナタリアちゃんの誕生プレゼントを持って行きましたら、「寄ってけ、寄ってけ」と寄りこんでしまいました。夏休みにモスクワとブルガリアと韓国に一ヶ月間行って来たとかで、シベリアの石で作ったというローソク立てをお土産に頂きました。有難い事です。  

(無題)

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2008年 9月15日(月)00時21分48秒
  和雄さん。ロシア人のご一家と親しくお付き合いができていいですね。日本でその方はどんなお仕事をなさっているのでしょう。18日間の『トゥヴァ共和国サヤンリング紀行とトゥングースカ川航行』は近いうちにサイトにアップする予定です。同時に、2002年に書いた冒頭の『クラスノヤルスク紹介文』も修正する予定です。

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楽しみに

 投稿者:和雄  投稿日:2008年 9月12日(金)07時04分17秒
  涼しくなってきましたね。久しぶりの貴女の投稿を拝見致しました。私の自宅のすぐ近くに、昨年からロシアの方が別荘をを建てまして、2、3度バーべューに招かれました。モスクワの近くに自宅がある方ですが、昨年からロシアが身近に感じられるようになりました。18日間に及ぶ貴女のシベリア紀行記は、ここか何かに投稿されますか?。そうでしたら読ませて頂きたいと思います。昨年は何度か私の質問に対しましてご回答下さり、有難う御座いました。  

また、辺地へ

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2008年 8月27日(水)23時03分17秒
   夏場は何時も、夏至のころにシベリアに行くようにしていたのですが、今回は8月中旬に18日間ほど行って来ました。相変わらずクラスノヤルスク中心に人里離れたところを廻ってきました。
 ネットのできる環境ではなかったので、時々町に戻り、インターネットカフェを探して、メールチェックなどをしていました。でも日本語で入力できないので、必要最小限、ローマ字で書いたりしていました。豆男さんからの投稿も、ロシアで読みましたが、お返事はできませんでした。
 『宝塚出身の女優が一万年ほど前のイルクーツク付近の女性の子孫とDNAが証明した話』は、はじめて伺いました。1万年ほど前のイルクーツク付近の女性と言うと、南シベリアが温暖な気候だったころの新石器時代初期人ですね。でも、その時代の『子孫』がその地に住んでいるとは思えません。
 この辺は、歴史の教科書によると5000年ほど前の金石併用時代から、ヨーロッパ系人種やアジア系人種が絶えず行き来していたそうで、子孫をたどるのは難しそうですよ。
 ちなみに、今回、トゥヴァの奥地で発掘研究されていないスキタイ人(この地では3000年ほど前)の古墳をたくさん見ました。でも盗掘はされています。スキタイ人の黄金は見つかりませんが、骨をひとかけらと遺体を包む白樺の皮というのを一切れ拾ってきました。古代人も自分の一部が故郷からこんなに離れたところ(日本)に持ってこられて、怒っているのではないかと、ちょっと心配ですが。

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japan

 投稿者:Любаメール  投稿日:2008年 7月17日(木)15時36分56秒
編集済
  Здравствуйте, Канакура-сан! Большое Вам спасибо за встречу в Японии!
Очень рада с Вами познакомиться. Надеюсь, Вы тоже этому рады. Буду ждать Вас в России в Центре японской дружбы в университе. Приежайте обязательно. С уважением Л.А.
 

御無礼致しました

 投稿者:和雄  投稿日:2008年 3月 8日(土)15時37分15秒
  日本最大手の旅行社といえども、クラスノヤルスクの事は何一つ把握していないみたいで、「イルクーツクの代理店経由で手配した」、と私には言っていました。私も現地に行くまでは、Iさんがエニセイ河の客船下りをしたとか、ニコライ墓地に供えてあった「クラスノヤルスク遺族会」の花かごを見て、日本人が来て居る事を知ったり、更には貴方様のように長い間住んで居る人が居た、なんて知る由もありませんでした。「後の後悔先にたたず」と言いますが、行く前に貴方様にいろいろお尋ねするべきでした。「親孝行、したい時には親は無し」とも言いますが、私がもう少しペレストロイカ後の事に気を配って居たら、死ぬ前の母をクラスノヤルスクに連れて行けた、と少し後悔もして居ます。ようやく春めいてきましたね。まだ浅間山は一面雪景色、北軽井沢の桜はGW頃なんですよ。冬の最低気温はマイナス20度近くまで下がりますから、クラスノヤルスクより少し暖かいだけの所です。  

日本語通訳

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2008年 3月 7日(金)20時28分8秒
   クラスノヤルスクにも、日本語通訳がいるはずですよ。だってクラスノヤルスク国立大学外国語学部日本語科で私が6年間は日本語を教えていましたし,その後も日本人教師が教えていらっしゃるはずです。
 1学年10人余の学生がいて、卒業生も2000年以降、毎年出ています。最も入学者が全員卒業するわけではなく、学年によっては半分以下になったりもしますが。
 実は卒業生のうち、最も優秀な子は日本に研修に行き、帰って来ないのです(結婚したり、さらに別の外国に行ったりして)。

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重ねて御礼

 投稿者:和雄  投稿日:2008年 3月 5日(水)07時45分0秒
  とんでも御座いません。お手間を取らせました。クラスノヤルスクでは英語のガイドしか居ないと言われ、英語のガイドでした。1953年生まれで市内の学校(大学?)の教師とかで、アメリカ人と話して居るように流暢な英語を話し、教養も品もある穏やかな女性でした。が、空港とHotel間の迎えと送りには約束に反して同行してくれず、ロシア語しか話さない男性の運転手だけで難儀しました。帰国後、旅行社にクレームしたら、それなりの処置をしてくれました。Kokatano Chihaさま、また何かお尋ねする事があるかも知れませんが、その節はそうぞ宜しくお願い致します。末筆ながらまだまだ寒さ続きそうです、どうぞ御自愛下さい。  

あまりお役に立たなくて...

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2008年 3月 4日(火)11時21分14秒
  亡き伯父様もお母様もきっと喜んでいらっしゃいます。
クラスノヤルスクはソ連崩壊の1991年まで外国人は訪問できにくい地区だったのですが、それ以降、公的な慰霊団の方ばかりか個人の方も大勢訪れ、できうる限りのことをなさったようですよ。私が滞在していた1992年から94年と1996年から2004年の期間、その前後など、毎年夏にはそうした訪問団の話題がありました。ゴルバチョフの広報名簿に載っていないか、載っていても葬られた場所が書いていないとか、という方が、古い手紙などを頼りに調査なさっていました。私の知っている限りでは、広報名簿に明記されているか、生還者が記録していたというほかは、特定できなかったです。
日本の大手旅行社経由で依頼したガイドという方は日本語ガイドでしたか。

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(無題)

 投稿者:和雄  投稿日:2008年 3月 3日(月)14時17分51秒
  kokatano chihaさま、返信有難う御座いました。新潟、ウラジオ経由で1人で行き、ニコライ墓地の日本政府が建てた慰霊碑も、タルガシノ墓地も、クラスノヤルスクの通りで買ったグラジオラスの花と、持参した線香でお参りして来ました。ズロビノ駅とクラスノヤルスク駅も、日本の大手旅行社経由で依頼したガイドに案内してもらいました。62年ぶりに初めて肉親が訪れ、亡き伯父さんも母も喜んでくれたと自己満足して居ます。エニセイ河近くのクラスノヤルスクHotelに一晩だけ泊まりました。タルガシノ墓地については、まさに貴方様の言われる通りです。いろいろ調べたら、伯父さんの遺骨を特定して持ち帰る事は、まず不可能のようですが、私は今年59歳、もう一度お参りに行くに備えて、もっと場所を特定出来たらと考えて、貴方様に依頼致しました。重ねて返信有難う御座いました。  

タルガシノ丘

 投稿者:Kokatano Chihaメール  投稿日:2008年 3月 3日(月)08時52分0秒
  和雄さん、お返事が送れて申し訳ありません。2週間ほどサハ共和国にいっていました。
 クラスノヤルスク市にはいくつか駅がありますが、急行が止まる主要駅クラスノヤルスク駅(エニセイ左岸にある)の4つ手前に、貨物車と近郊電車だけが止まるズロビノ駅(エニセイ右岸にある)があり、そのあたりは昔は郊外だったので、第2次大戦中にヨーロッパロシア方面から疎開してきた工業が雑然と並んでいますね。私の知り合いのおじいさんも抑留されてそこの機関車工場で働かされていたそうです。
 クラスノヤルスクでタルガシノ丘にある墓地のほかに、よく整備されていたといわれるニコライ墓地もあります。そこは、ご存知のように、遺骨はみんなもち帰り記念碑だけが建っています。タルガシノ墓地で見つけるのは、難しいとみんな言っています。古い墓地の上に新しいのを立てたりしているからでしょう。お一人でタルガシノ墓地まで行かれたのですか?

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タルガシノ墓地

 投稿者:和雄  投稿日:2008年 2月15日(金)19時00分20秒
  はじめまして。10年前に76歳で亡くなった私の母の3歳上の兄、私の伯父は1945年に北満からkrasnoyarskに抑留され、1946年6月15日に、シベリア鉄道のズロビノ駅付近にあった第二収容所で病死しました。母は死ぬまで若かりし頃の伯父さんの写真を持ち続け、OOちゃんが可哀そう、せめて遺骨だけでも取り返したい、と気に病んで居ました。昨年厚生労働省がロシアからの資料をHPに発表し、偶然に私の目に留まりました。昨年9月6日から母の位牌を持って1人でタルガシノ墓地にお参りに行って来ました。が、日本人墓地を見つける事は出来ませんでした。もしご存知でしたら、タルガシノ墓地について教えて頂けませんか?。純粋にもう一度伯父さんの墓参りに行きたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。  

ロシアあれこれ

 投稿者:こかたの ちはメール  投稿日:2007年 4月22日(日)00時41分3秒
   豆男さんへ。いつも投稿して頂いてありがとうございます。豆男さんの文はいつも大変興味深く読ませていただいています。
 アムール川には、廃液事故がなくても、チョウザメはいないようですね。チョウザメとキャビアと言えばカスピ海が有名ですが、そのカスピ海も今では汚染が激しいようです。数年前ヴォルガ川クルーズをしたのですが、そのヴォルガが泥川になっているので流れ込むカスピ海も泥海になっているでしょう。(№.06 『ヴォルガ川紀行その3』の最後の章『到着』を御参考ください)。
 チョウザメはエニセイにもいます。エニセイ川図鑑では、チョウザメ目・チョウザメ科・チョウザメ属・東シベリアチョウザメ亜種と載っています。
 ハバロフスクのレストランで2600ルーブルのチョウザメ料理があるという話を知り合いのロシア人にしたところ、レストランならそんなめちゃ高いメニューがあってもおかしくないと言うことです。レストランは料理を食べるところと言うより社交場だからです。材料が高いからではなく、その場所だからその値段なのでしょう。

 ロシア、クラスノヤルスクではチョウザメ(ばかりではなく、何でも、きゅうりの漬物でも)を肴にウォッカを飲まされそうになったりことはよくあるのですが、最近は切り抜けることにしています。冷たく冷やしたウォッカは(日本では美味しくないのですが)ロシアではなかなか美味しいです。でも、勧められるままに乾杯をしていると次の日は起き上がれません。それで、「日本人の私はアルコールの免疫がないから1滴でも飲んだら倒れる」と言って断っています。

 最近の若者(成功者も)は確かにウォッカはあまり飲まなくなったようですが、よくビールを飲みますね。ビール瓶を片手に道を歩いているでしょう。そして道端にぽいと空瓶を捨てますね。
 ロシアの蟹について、そうかもしれません。蟹缶もなかったですか。蟹風かまぼこは、クラスノヤルスク滞在中(2004年まで)は大変助かりました。普通は冷凍で売っています。にんじんキャベツとあわせてサラダにしてよく食べました。

 シベリアは4月が一番悪い季節ですね、半年も積もっていてもう黒くなった雪が融け始めて雪に埋まっていたごみが現れ、ぬかるみの道に醜く散らばっています。5月になるとウワミズザクラやシベリアりんごの花が咲き、良い匂いがします。6月にはシベリアのバラと言われるキンバイソウが一面に咲き、7月にはひまわり畑が満開で、8月にはブルーベリー摘みができて、9月にはシダレ白樺の葉が黄金色に輝きます。私は零下40度くらいの厳寒も好きですが。

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超チョウザメ

 投稿者:kokatano chihaメール  投稿日:2007年 4月13日(金)14時54分27秒
  クラスノヤルスク市を流れる部分のエニセイ川には車の通れる橋が3本ありますが、豆男さんのごらんになったのはその中でも中心地を通る(クラスノヤルスクホテルからも見えて、中洲にはスポーツ・コンプレックスがある)コムナリナヤ橋でしょうか。
 クラスノヤルスク・ダムが出来てから川の水が冬でも凍らなくなって、周りの大気より暖かいので、いつも樹氷が見えます(拙稿ホームページNo.00『シベリアの中心クラスノヤルスク前編』の『4.クラスノヤルスクの名所』をご参照下さい)。
 ロシアの国内線空港は暗くて陰気ですが、この好景気で修理などされているようです。クラスノヤルスク空港は、まだ古いままでしょうか。
 ロシアのレストランはリピーターを当てにしていないかと思われる料理にたびたび遭遇しますよ。レストランのコックさんも知らない客にお金で売るような料理はいい加減に作るのかと、私は時々思うくらいです。でも、ロシアの家庭料理は本当においしいです。
 チョウザメについては、私のホームページにも、見たことを書きました。ぜひNo.21『冬至の頃クラスノヤルスクまたはアンガラ川下流とイガルカ(3)』の『やっとイガルカ市へ』や
No.20『夏至の頃クラスノヤルスクへ(中)』の『チョウザメを魚にウォッカ』をご参照下さい。カジキは動物系統図では発達した魚類の硬骨魚ですが、チョウザメは、確か、系統図ではより下の軟骨魚です。でも、2600ルーブルといえば12000円もするではないですか。エカチェリンブルク市ですか?

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お帰りなさい

 投稿者:kokatano chihaメール  投稿日:2007年 4月 4日(水)13時13分34秒
   3週間もクラスノヤルスク方面に滞在できたなんてうらやましいです。昔、そこに何年も住んでいた頃は、早く夏休みになって日本に帰ってうどんを食べたいと思ったものでした。日本に住むようになると、クラスノヤルスクに心が惹かれます。
 クラスノヤルスク周辺では5月のメーデーの後にやっと川の氷が解け始めて流れ出しますから(エニセイ川を除く)、3月後半はまだまだ冬で、薄黒くなった雪がまだ道端に積もっているでしょう。
 2人用コンパートメントは一応1等車(特別室Спецвогон、略してCBエスヴェ)ですね。これは1車輌当たりの人口が少ないのでトイレに順番も出来ません。昔ルーブルがすごく安かったとき、私のような者でも、CBに乗ることが出来ましたが、今は飛行機より高いでしょう。乗った列車がクラスノヤルスクからモスクワの『エニセイ号(No.55-56)』とかクラスノヤルスクからノヴォシビリスクの『クラスニイ・ヤール(No.85-86)』号だったら乗り心地はまあまあだったと思います。私はといえば、前に書いたようにオープンの3等車が面白いと思いますが。
 1等車だから乗務員のおばさんが別途の準備をしてくれたのでしょう。 私が最後に1等車に乗ったのは1998年でした。
 携帯の充電はいくらでしたか。
 大きな駅を通る時は(私の乗るような庶民列車は)停車時間を含めて1時間半くらいもトイレが閉まっているので、1度思い切って駅構内のトイレまで走ったことがありました。冬で、夜でした。元のプラットホームに戻ってくると、停車時間が40分のはずの列車が見当たりません。引込み線のほうに移動していたのでした。寝巻きに上っ張りという格好で、何も持っていなかったので、その時はショックでした。
 豆男さんのクラスノヤルスクのお知り合いが住んでいた閉鎖都市というのは今はジェレズノゴルスク市(元、クラスノヤルスク26市と暗号名で呼ばれていた、これは郵便番号がその当時660026だったから)ですか。これは核弾頭用プルトニウムや、人工衛星関係の工場があるところですね。私のいたのは45市でした。どちらも抜け道はあるので手引きしてくれる人がいれば潜入できますが。
 豆男さん、詳しい見聞をメールして下さったら読むのがとても楽しみです。私は次回は6月か7月に行く予定です。
 

非こだわり派ですが

 投稿者:kokatano chihaメール  投稿日:2007年 2月26日(月)20時45分29秒
  森林地帯の写真を撮っていけないというのは意外。昔、飛行場や駅は撮影禁止でしたが。橋もそうだったかもしれません。飛行機の窓からもダメでしたから、ダメといわれると撮りたくなってこっそり撮っていたものでした。
紀行文はとても楽しみにしています。
海外へ観光旅行に行く人に「なぜ行くの?」と聞いたところ、理由の一つがおいしいものを食べるため、でした。私自身は空腹の時は何を食べてもおいしく、満腹の時は何もほしくないという「非こだわり派」で、時間を惜しみパンをかじりながらでも見たいところを見て回る方で、グルメとはほど遠いのですが。
でも、豆男さんの食の話と新発見を楽しみにしています。

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列車内の大改造?

 投稿者:kokatano chihaメール  投稿日:2007年 2月25日(日)20時01分39秒
  列車のよって、乗れそうなものもありますよ。固有名詞のついている列車で、たとえば、クラスノヤルスクからモスクワなら「エニセイ」号、イルクーツクからモスクワなら「バイカル」号、ハバロフスクからなら「アムール」号、ウラジオストックからなら有名な「ロシア」号がfermenniy poezd で、値段も高くサービスもよさそうです。でも、高い割には、たとえば、コンパートメントのテーブルにきれいなクロスがかかっていたり、その上の造花の花瓶が飾ってあったり、ギャザーをうまく寄せたカーテンがかかっていたり、ロシア人の美的感覚には合うけれど、窓枠やガラスが、触っても指が汚れない程度に汚れてないかどうかわかりません。トイレのことは言わないまでも。

2人用コンパートメントもありますね。
でも、私は、tverdiy vagon つまり開放型の3等車のほうが面白いです。


モスクワ、サンクトペテルブルクまで行けば西欧型のがあるかと思ったのですが、2年前では、日本ののJRの古い形の座席、のような感じで、真新しいということはなかったですが。

でも「下手な」ホテルよりはいいですよ。だって。寝ている間に目的地につけるんですから。豆男さんの紀行文をぜひ送ってください。
私の紀行文にありましたタシュケントからイルクーツクというのは、今はないようです。

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ありがとうございます

 投稿者:める  投稿日:2007年 2月22日(木)01時46分39秒
  早々のお返事ありがとうございました。
やはり6ヶ月に一回ロシアに入国しているだけでは駄目なのですね。
外国人移民に頭を悩ませている沿海州ではこれ幸いと失効されそうです・・・
一人暮らしの実親が高齢で病気がちになり介護の事を考えていたところです。
半年以上日本に滞在した場合失効もやむを得ないと納得していたつもりだったのですが取得の手間を考えるとなんだか口惜しいという卑しい気持ちが片隅にあり少し期待してしまいました。
教えて頂いて誠にありがとうございました、
こかたの様のご健康と益々のご活躍をロシアの端っこからお祈りしております。
 

居住許可証

 投稿者:こかたの ちはメール  投稿日:2007年 2月21日(水)22時16分35秒
  めるさん、飛んできていただいてありがとうございます。

ロシアでは、場所によって法律の運用が違ってくると言う非緻密な法治国家のようですよ。

出入国についても、クラスノヤルスクの外国人課とノヴォシビリスクやハバロフスクはそれぞれ何かと違うと、クラスノヤルスクの職員自身が言っていました。それで、クラスノヤルスクでは認められていてもハバロフスクではだめかもしれないからと何種類かの書類を持たせてくれたものです。(それは、まだ、私が滞在していた頃のことですが。)

Вид на жительство в российской федерации иностранного гражданинаは6ヶ月以上国外にいると無効になるといわれ、それも、日本パスポートの出入国印の日付から私が6ヶ月以上不在だったことがわかったのでした。だからといって取り上げられると言うことはなく、ただ延長ができなかっただけです。

Разрешение на временное проживание については、申請に必要な書類は2通を残してすべてそろえたのですが、中止しました。その2通と言うのは、無犯罪証明のアポストロフィと預金証明のアポストロフィだから、もちろん簡単に入手可能でしたが。

ロシアですさまじいものは道路とトイレと役所の窓口と思ったこともありますが、ゲーム感覚で対応すれば、それなりに楽しめますよ。

http://homepage2.nifty.com/enisei2580

 

はじめまして

 投稿者:める  投稿日:2007年 2月21日(水)12時43分15秒
  こかたの ちは様 はじめまして。
ニジェガロージェッツさんの所で拝見し飛んで参りました。
現在ウラジオストクにロシア人家族と住んでいる者です。

大変詳細で貴重な各トピックをまだ読み始めたばかりですが「モスクワ郊外の夕べ」を散歩する・・で大笑いしてしまいました(笑)申し訳ありません。
ロシアに暮らすと短期間のうちでもいろいろあり自分も呆気にとられる事が多いですが凄いですね、出国できなかったとは!係官で対応が違う事はよくありますが怖いです・・ ちなみに同じケースの知人は無事入出国できました。

現在は3年の短期居住申請中でしょうか。
私は短期滞在(1年商用)資格を数年繰り返していたのですが外国人滞在に関る法律がどんどん不便な方へ変わって行くので居住資格(根拠事由:ロシア人配偶者)をとろうと思い、去年の秋に短期居住資格の申請をしたのですがそれはもう大変でした。あれはとても一人ではできませんね。我が家も夫が休暇中にやりました。
すでに長期居住資格でお住まいの先輩に聞きながらやったのですが、その方が資格を取った頃は今のように短期→長期の二段階方式でなくいきなり長期居住の申請が出来たそうでちょうど今更新がきていてやり方が随分変わっているので私も四苦八苦しているところですと言われお互い情報交換しながら進めました。
結局私の方は現在のビザと滞在資格が合致していないという最な理由で却下されて取得できなかったのでこのビザが切れる今秋にまた申請する予定です。

少しお伺いしたい事があるのですがよろしいでしょうか。
居住資格は短期も長期も6ヶ月以上ロシアを離れていると失効するという事を居住資格で滞在されている複数の方から聞いていたので、もし親が倒れても半年しか介護できないねと在留邦人同士言っていたのですが、
こかたの ちは様は6ヶ月に一度の出頭とお書きになられていらっしゃいますね。
という事は合計6ヶ月以上の居住日数でなくても、つまりロシアに住んでいなくても6ヶ月に一回ロシアに来てレギストすればいいという事でしょうか?
2004年にご帰国されてからも一年のうち半年以上ロシアに居住されていらっしゃったのですか?それとも満たないけれど出頭しない&入出国の際も何も言われなかったという事でしょうか?
(ちなみにウラジオでは長期居住資格の確認出頭は一年に一回でその際にロシアの居住日数が半年に満ちていないと資格失効になるときいています)
もし出頭だけでいいなら大変ありがたいお話なので確認させて頂きたいと思いました。
初めての投稿で不躾なお願いですがどうか宜しくお願い致します。
 

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