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野州下野の国

 投稿者:しげかず  投稿日:2006年 2月17日(金)09時52分3秒
  (No Subject) / しげかず  引用

   まりもさん、今晩は久しぶりです。
****野州下野国
栃木県宇都宮の中心に鎮座する二荒山神社と昭和19年頃のお話です。
二荒山神社は『日本書紀』に第十代崇神天皇の第一皇子豊城入彦命が勅命を受けて東国御治定のため、毛野国(栃木県・群馬県)に下り。国土を拓き、産業を奨励し民を慈しんで命の徳に敬服し、族は鎮まり、その子孫も東国に広く繁栄された功績で祀ったとの説です。
注)命か東国征伐の時賊(大ムカデ)と遭遇し苦戦を強いられ(大ムカデ)賊に対し矢じりに唾を付けて眉間を狙って放ったら右の目玉に当つて賊を退治したのでその祟りで今も宇都宮の人は右目が小さいと子供の頃母から聞かされた覚えがあります。
以来平将門の乱を平らげた藤原秀郷公をはじめ、源義家公・源頼朝公・下って徳川家康公などの武将の尊敬を受けられました。古くは、延喜式内社、名神大、当国一之宮で明治になって『明神さま』の名で庶民に親しまれ、宇都宮は二荒山を中心に栄えたとつたえられています。
この社は小高い山に鎮座しているので鳥居の敷石を踏んでから仁王門まで石段を踏んで登って参詣し帰るには結構な運動になります。
戊辰戦争の時は薩長連合軍はこの社に大砲を据え南に位置する宇都宮城めがけて盛んに砲弾を打ち込んだと安政六年生まれの曽祖父が孫に当たる私の母にきかせた・・・
私は母から其の話を聞かされた事を今思い出しています。
下って昭和十九年太平洋戦争も終わりの頃私の卒業した小学校の校庭の隅に防空壕を生徒に掘らせていたら、突然壕の底が抜け落ちて坑道が現れ其の中に本丸から合津(福島県)の方に向かっていた脱出坑が現れて絵図面も一緒に残っていたと当事の下野新聞か報道していた事も今は懐かしく思います、今も昔も形勢か悪くなると考え余り変わらないですね。・・・謎めいた話も多々在るとおもいます。では又いずれ。

No.660 - 2005/05/01(Sun) 00:39


Re: (No Subject) / まりも@管理人  引用

こんばんは、しげかずさん♪

いつも面白いお話ありがとうございます。
奈良あたりの話なら少しだけなら知っているのもありますが宇都宮あたりとなりますと、なんにも知りません。
本を読んでると毛野国は重要な場所のようです。奈良の大古墳がつくり終る時期でも毛野国では築造されており奈良との関係を示唆されている講義を聴いたことがあります。
もっと毛野国も勉強したいですね。

No.662 - 2005/05/01(Sun) 22:44

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ばかまち

 投稿者:しげかず  投稿日:2006年 2月17日(金)09時50分13秒
  ばかまち / しげかず  引用

まりもさん連休如何過ごしていますか。♪
私は息子の都合で5月5日に息子家族4人と妻合計6人で最寄の動物公園に行く予定でいます。(車で約15分位の所)
今日はちょつとエッチな神社の話を・・・・・・・
場所 茨城県 北相馬郡 利根町 絞もう神社の話です最後迄読んでください。
文間の明神と称し大字立木にあり二柱にて両社あり、東なるを奥の宮と云い祭式祀の初めりしは交霊天皇三年の御時なり、当事は水神、罔像女神(ミツハノメノミコト)一神なりしを、文武天皇二年酉正月二十五日、(西暦699年)土神、埴山姫神(ハニヤマヒメノミコト)を合祀す、神号を安田明神と云う (北相馬郡誌から転記)
立木の蛟もう神社の『夏祭り』は、豊饒を祈る田植えの神事で、旧6月15日に行われます。また『例大祭』は旧9月14日から15日にかけて行われ。奥の宮で行われる『湯立て』(豊凶を占う)『御衣焚き』(古い神衣を茅と眞菰の大松明に納め、御神木の所に運んで焼く)といった古来の神事が伝えられています。この日は同神社の神馬と鹿島神宮の神鹿との交歓のる日として、『ばかまち』とも呼ばれています。( 町広報誌から転記)
ばかまち
蛟もう神社例大祭の俗称で、同神社の最も重要な大祭の神事として伝えられている。
『ばかまち』の由来は二通り語り伝えている。
一つは上述で、もう一つは、この祭りの習俗として、昭和初期頃まで色こく残されていた『かがい』にまつわるもので。それによれば、この日男女が祭りの庭で、恋の思いを相手に伝えることが許され、心が通じれば神社の森で結ばれることも黙認の了解事項になっていた。
若い男女は、意中の人に会えることを願い、ついずずると居残ることになる。
居残っていても、思いを遂げることなく朝を迎えるみじめをみないため、『行ってバカ、行かぬバカ。途中で帰るのが利口のバカマチ』だと云うのである。
この風習については、「万葉集」に高橋虫魔が筑波山での「かがい」のようすを歌にして残し、また、「常陸国風土記」にはロマンチックな少年、少女の恋物語が記録されています。
蛟もう神社のバカマチでも、これに関して興味深い習俗を残していた。この祭りの夜、
男女ができあうのは、まことにお目出度い事である。したがって、もし運が悪く、思いが遂げられなかったにしろ、いかにも思いを遂げたように、神社の社の中に下帯(パンテイ)や腰巻き(ズロ−ス)を落としてくる。するとそれが厄落としになって、良い一年をおくれというのである。
また昭和20年代頃まで、まだこのバカマチがきわめて盛んで、人出も多かった時代までは、境内にあふれるように並んだ夜店が、真夜中がくると、一斉に店の明りを消して暗くするのが習わしだった。それは、その暗い時間に、恥ずかしがって容易に思いを遂げられないでいた臆病な若者たちに手を握ったりするチャンスを与えてやろうという親心だった。(利根町史)より。

No.663 - 2005/05/03(Tue) 18:20


Re: ばかまち / まりも@管理人  引用

こんにちは、しげかずさん♪
連休も最終日です。飛鳥に行ったり、奈良の温泉[宮滝遺跡もちょっとだけ見てきました]に行ったりしてるうちに終わってしまいます。読書もしましたけど・・・漫画&古代史&十二国記
しかし、大半は、なーんにもしないうちに終わったって感じです。5月が終わると6月、1年の半分も終わってしまうと思うと愕然としてしまいます。
なんかしなくっちゃ!って思う今日この頃です。

しげかずさんはいかがお過ごしですか?本とか読んでいらっしゃいそうですね。
>ぼかまち
田植えは古代では重要な行事ですもの、生命の象徴であったり直接的にも稲が実らなくては生きていけませんもの。
今でも全国各地の神社でお田植え祭りをやってますね。
そして、そこはほれ命が生まれるってことで男女の出会いってのもありですねぇ。
昔は、どこの地域でもバカマチみたいのはあったんでしょうね?

No.665 - 2005/05/08(Sun) 16:14

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葛城氏

 投稿者:しげかず  投稿日:2006年 2月17日(金)09時47分48秒
  葛城氏 / しげかず [ Home ]  引用

 まりもさん
久しくカキコしておりませんがお元気で活躍しているとご推察いたします。
2月22日の新聞トップに葛城氏「王宮」遺跡の巨大建物跡の現場写真と想像図が掲載されているのを見て西暦456年21代雄略天皇今から1960前を想像すると、地質又構造物構築技術の計算が確立されていない時代に日本の土木建築構築技術がかなり進歩していた事が想像できます。
それに引き換え現代の人は、1960年間の蓄積のわりに、たいした進歩をしていない様にかんじますね。
話は変わりますが私事で250世帯の町内自治会会長の活動をしていますがイザコザで絶えず苦慮していまいす。

No.620 - 2005/02/22(Tue) 18:54


Re: 葛城氏 / まりも@管理人  引用

こんばんは〜おひさしぶりです。しげかずさん♪
お元気でしたか?わたしも元気ですと書きたかったのですが少し体調を壊してネットからは離れてました。

今は元気で・・わはは・・しかし今日は偏頭痛で会社を休んでしまいました。つくづく健康のありがたみを感じています。
何がなくても健康が一番ですね。

葛城氏・・・出てましたね!想像図も見ましたよ。山の中腹から下界を見下ろす葛城氏。天皇家にも脅威をあたえていたんでしょうね。現説が土曜日にあるんですよ。行きたいなぁ。
それと高松塚古墳!思っていたより大きな古墳でした。こちらは日曜日に現説があるんですよ。これも行ってみたいです。
昔を知るのは今を知る・・って思います。だから古代に魅かれるのでしょうね。
しかし人間は今も昔もあまりかわりません。自治会長は大変でしょうね。90世帯のマンションの理事長になったことがあります。勿論、立候補ではありませんよ。輪番制でしかたなく1年やったのですが・・・大変でした。
はい。ほんとに色んな人間がいるのです。一つの事を決めるのにこんな大変とは思いもよりませんでした。
それが250世帯では・・・想像にがたくありません。
民主主義だといってなんでも多数決で決めてしまうのは考えものですしね。人間ってつくづく大変なものですよね。

No.622 - 2005/02/24(Thu) 23:14

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子供のころ

 投稿者:しげかず  投稿日:2006年 2月17日(金)09時45分24秒
  子供のころ / しげかず  引用

まりもさん、体の具合は如何ですか?心配しました。

 今日は倭とか飛鳥の話ですく、子供の頃、お爺さんから聞いた話を致します。
昔、恫喝を言う国と、おとなしい国が隣りあっていました、その恫喝を言う国の殿様が、おとなしい国を滅ぼしてしまいたいと思って、無理難題を吹きかけてきました。それは灰で縄をなってもって来いと言うのです、
 さあおとなしい国では大変です、灰で縄がなえるはずがありません。おとなしい国の殿様も重臣も家来も、額を集めて、灰の縄を作ってみましたが出来るものではありません。
 そこで国中にオフレを出しまして、灰で縄をなってさしだした者は、スバラシイ物のを与えると言ったのです。ところが、一人の農夫がその立て札をみまして、家に帰ってその話を家の年寄りに話した所、「それなら縄を塩水にひたし、乾いたら縄を燃やして、その燃え殻を持って行けばよい、」と教えてくれましたので、農夫はその燃え殻の縄を殿様に差しだしたら大変褒められご褒美をもらいました。
 その後隣の国の殿様は、おとなしい国には余程えらい知恵者がいると思って、その後は決して無理難題は言ってこず仲良く付き合うようになったのでした。
 この話は現代にも通用できます、一つでも得意をもっていると苛めに合わずその得意とする事を最大活用する事です。

No.628 - 2005/02/27(Sun) 13:23


Re: 子供のころ / まりも@管理人  引用

こんにちは〜しげかずさん。
またまたお返事が遅くてすみません。おかげさまで身体は元気になりました。
先週は二日続けて現地説明会に出かけました。古代に関係あるものを見るのはやはり好きです。確かにあった古代を肌で感じる事ができます。
書いていただいた物語は中国のお話なんでしょうか?なかなか含蓄のあるお話ですね。
好きなことがあるのは楽しいです。たとえ人から見てつまらないものでも毎日が充実しますし、そのことについて勉強をしようとします。わたしにとっては古代史はまさにそのようなものです。
何かに一生懸命になれるのは日々が充実しますね。いつまでも夢中になれるものを持っていたいと思います。

No.632 - 2005/03/05(Sat) 17:06

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八栗山

 投稿者:しげかず  投稿日:2006年 2月17日(金)09時40分59秒
  栗山 / しげかず [ Home ]  引用

 まりもさん今晩は
偶然に昔をおもいだして、四国八栗山を検索していましたら驚き、今から42年前に私が29歳の若年に設計した八栗山(八栗寺)のケ−ブルカ−運転席の写真が掲載されてあったのでビックリと懐かしさのあまり、設計当時の経過を述べてケ−ブル会社にメ−ルで、ケ−ブルカ−の思い出と題して書き込み、ついでにその運転席の拡大写真を送信してもらいました、設計当時は八栗山の由来など知らず、唯はちくりさんと社内でよんでいたのでした、八栗山(八栗寺)は四国お遍路第85番・五剣山・八栗寺で、真言宗大覚寺派で永く修験者の修行の地だったそうです。私の宗派も真言宗智山派なので真言は以前から・・・・私の守り神まで真言密教の大日如来となっていますので、坊主でも、遅いと思いますが修業いたしますか。お笑い下さい。

No.489 - 2004/10/25(Mon) 17:33


おお! 八栗山 / ,まりも@会社  引用

こんばんは〜しげかずさん。相変わらず遅いレスで申し訳ございませんです。
あのう・・・・42年前で29歳って今は71歳ってことでしょうか???
すいません・・変なとこで立ち止まってしまいましたね?
HPのお写真ではそういう感じではなかったので(何かいてんだろ?)もっとお若いと思ってました。すいませんm(__)m
42年前にした仕事が今も残っているのは感動ですね。何も形に残らない仕事をしているわたしにとってはうらやましい限りです。
四国のお遍路もいいですねぇ・・・・修行やってください!←でも大変そうですねぇ^_^;
ちなみにわたしは西国33箇所巡りの途中であります。

No.493 - 2004/10/27(Wed) 18:42

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老けた話は

 投稿者:しげかず  投稿日:2006年 2月17日(金)09時39分12秒
  敬老の日 / しげ゜かず [ Home ]  引用

まりもさん久しぶりです、今晩は、老けた話ですみません。
日本人の長命について一言、70歳を古希といい、これはき「人生70古来稀(まれ)なり」といった中国人の言葉を取って、70歳を古希といううようになってのですが、この言葉は、中国製でありきして。詳細は省きますが、日本のこきは、200歳、300さいであったはずです。
60歳を還暦とも言います。暦に還ると書きます、これは赤チャンになると言う事でした。本当の人生は、60歳を0歳として出発することを意味いています。60歳までは、人生のほんの小手調べに過ぎないのでこれから頑張って今までの知識を多い活用して頑張ることです、何か人事ではないとおもいます。次回は日本の発展の小話いたします。

No.470 - 2004/10/03(Sun) 22:23


敬老の日は過ぎましたが・・ / まりも@管理人  引用

こんばんは、しげかずさん♪

時間はどんどん過ぎてしまいます。気が付くと「こんな歳だったの?わたし??」って感じになってます。
そうしてこうして間も、時間はどんどん経っているのですよね。
長生きが大事でなくどう生きたが大事なんだろうけれど、長生きっていうだけでお辞儀したくなります。
だって運も徳もあるように思えますもん。
昔の人もやはり長生きは素晴らしいとおもって古希(まれ)や米寿(寿ですか??)やらといったのでしょうね?
還暦って言葉も面白いですね。そうか!60からまた頑張るって意味だったんですね。ふーむ。やっぱり長生きしたいです(*^_^*)

No.473 - 2004/10/04(Mon) 23:08

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ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

平将門

 投稿者:しげかず  投稿日:2006年 2月17日(金)09時36分29秒
  平将門 / しげかず  引用

まりもさん暫くです。
以前平の将門に付いての掲示板に書込たいと述べましたが中々調べる機会なかったがやっとその機会出来ました。私達家族は先祖の墓参りに千葉市から車で埼玉県の岩井市を通過して織物の産地結城紬の結城市を経て栃木県宇都宮の江戸時代後期の儒学者山陵志を著わした蒲生君平が少年次第に住職から学問を学んだと言われて居る寺に行く途中利根川の芽吹大橋を渡り岩井市北林(千葉から約60km)の道路沿えに将門の最期の地と伝えられる、国王神社に途中下車して初めて訪れたら鬱蒼とした林の中に建てられた拝殿がありお賽銭を入れ合唱し次いでに周りを探索していましたら掃除をしていた年配者と合いこの神社の由来を丁寧に説明してもらいました。
国王神社は将門の第三女始蔵尼が将門の三十三回忌に父将門の霊を慰めの彫刻した木像を祀り現在に至った神社であります。
平将門は関東の覇者になり親皇将門となのり天慶三年二月十三日、平貞盛、藤原秀郷の軍勢三千に対し、将門の手勢四百の戦力で、平貞盛の大軍を迎え討ち将門の得意する弓戦にもっていったが多勢に対して、苦しい戦いで鏑矢が、右の目近くの眉間に突き立った。将門は砂塵の中に落馬していった駒跿辺りといわれ、その北原(いまの国王神社辺りの原)で将門は両軍の叫喚の中で奇妙なほどひっそりと死んだと伝えられている所です。(鈴木常光著作一部拝借)
掃除をしていた年配者の話に依ると平将門は逆賊のため、江戸時代から昭和の終戦まで国王神社は将門のお祭りは行わず神社近辺の三軒の農家で長年守って来たのでした、しかし歴史的な価値のある平将門がNHKで放送してから認識され記念碑等が建てられて人々が訪れる様になりましたが何となく淋しく思いました。

No.423 - 2004/08/24(Tue) 11:22


Re: 平将門 / まりも@管理人  引用

こんばんは〜おひさしぶりです、しげかずさん。
覚えていてくださってうれしいです(*^_^*)
古代史サイトと銘打ってるはずなのに歴史のことはあまり知らないのですよ。わはは・・・自慢になりませんねぇ・・
蒲生君平は知ってますよ。なぜなら古墳は好きですから。


唯一読んだ将門関連といいますと、永井路子の[悪霊列伝]で、そこに書かれている将門は単純、直情的、不器用、政治性なし・・
でもそれは、中央のいやらしい手練手管とは関係なく自分に正直な単純な愛すべき人間のようです。それ故、今でも関東では根強い将門びいきがあると聞きます。

歴史は勝者のもの・・・
しかし明治維新が興り、天皇の力が復活したとき将門は反逆者となるのですね。やはり新皇としょうしたところが駄目だったんですよね^_^;
でも、また時代が流れて今の評価はどうなんでしょうね?
しかし・・というか、やはりというか天下のNHK!観光客も訪れるようになったんですね・・
でもなんだか物悲しいのは兵どもが夢のあと・・・・だからでしょうか。

No.424 - 2004/08/24(Tue) 23:37

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米百表

 投稿者:しげかず  投稿日:2006年 2月17日(金)09時33分11秒
  米百俵
小泉総理大臣就任演説で明治の初めに長岡藩が大混乱に陥った時、親類筋の殿様から、見舞いとして米百俵を送って来た米を全部売って学校を立て教育に使ったと述べていた事の詳細がわからず関心が無かったが、最近になって私の恩師野口粂治先生の著書車軸の周辺で詳しく述べてあった事お思いだして書きとめました。
書き始め、日本文化を高める上で、学校教育がいかに大切かは、今更言うまでもありませんが、長岡の坂の上小学校の建設にまっわる話を致したいと思います。
明治の始め、越後の長岡藩は、徳川幕府に付いたため、官軍に町を三度も焼き払われました、住むに家なく、食べるに食なく、藩の中が大混乱に陥った時、親類筋の殿様から、見舞いとして米百俵を送って来ました、それを見た武士たちは、今度こそ暫く口にしなかった米を食べる事ができると喜んだのも束の間、時の大参事小林虎三郎が、米は一粒も食べさせない、それを全部売って、小学校を建てるのだと言い出しました。
これには、長岡藩全部が驚き呆れ、小林虎三郎を生かしておいては、我々が飢え死にさせられてしまう、刀を抜き払って掛け合いに行きましたが。
寅三郎は、「我が藩には、しかり勉強して先を見通す人物がいなかったから、幕府方に付いて城を焼かれるような事態に立ち至ったのである。米百俵を分けてみたところで、長岡の人々が食べても二日か三日しかもたないであろう、それよりも今は苦しいだろうが、皆でじっと我慢して、日本を動かす程の人物を、この長岡の地から、陸続として出して貰う外には、長岡を救う道はない」
と言って、断固として自分の信ずる道を変えなかったのであります。
果てるかな五十年の昭和の御代になって、日本海軍の連合艦隊司令長官として、戦死するまで、この日本を守り続けた、山本五十六元帥を始め、東大総長小野塚喜平次、内務大臣.司法大臣となった小原直、日赤社長の橋本圭三郎、詩人の堀口大学等は、実にこの小学校から出ているのです。
私は小林虎三郎のような人物が平成の世に存在していれば今日の日本の経済はもっとましな方向に進んで居たと思いたいです.昨今の学歴詐称の代議士が平気で出現する現代に、天国の小林虎三郎はさぞ苦慮して日本の行く末を心配していること・・・・





No.430 - 2004/08/27(Fri) 19:11


Re: 米百表 / まりも@管理人  引用

興味深いおはなし、ありがとうございます。
重複してるとの事だったのですが、一部だけ取り消すことができないのでこのままにしております。全部取り消すか、残すかしかできない機能なんで、すみません。

米百俵
そうそう小泉首相がその話をしてましたよね?そのころは小泉政権もはなやかなりし頃で、すわ「米百俵ってどんな話なんだ」と!?

人間は腹がへったら生きてはいけません。やっとのことで米を手に入れたら勿論はやく食べたいはずです。
なのに「学校を建てる??!!」そりゃまわりの人達がビックリするのは当然です。しかし理由を聞くと・・・


人間は動物です。食べる、寝る、種の保存・・しかし本能のままだけに生きていないのが人間です。考える。それが人間と動物とを隔てるものなのでしょう。米は食べたらすぐになくなってしまう。
しかし人間を育てるとそれは残る。そしてまた次の人にと永遠に教えは残っていくものなのでしょう。

>林虎三郎のような人物が平成の世に存在していれば
ほんとうに、世の中のことはあんまりわかっていないのですが今時の人って人間が小さくなったっていうか・・・
明治維新の時などは、それこそキラ星のごとく凄い人達がいたように思いますよね。
今の政治ってどうなってるんでしょうね?だんだん右向きにかたよっていく政治、収賄、賄賂は当たり前、学歴詐称・・・
弱いものは無き寝入り、つよいものだけがのさばっている・・
なんかへンな世の中です。あ・・すいません。なんだか過激になってしまいました(ーー;)

No.433 - 2004/08/28(Sat) 17:26

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廃プラスチック処理装置の種類概略

 投稿者:しげかず  投稿日:2006年 2月17日(金)07時53分12秒
  1・カキ板付き切リ出しコンベヤ−
2・カキ板付き投入コンベヤ−
3・廃プラ溶融炉
4・熱風発生炉
5・廃プラ成型プレス
6・廃プラ成型品排出コンベヤ−
7・熱風排気循環装置
8・油圧装置
9・空気コンプレッサ−
10・溶融炉内消化装置
11・電気制御装置
12・装置格納の建造物

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廃プラスチック処理装置の概略

 投稿者:しげかず  投稿日:2006年 2月17日(金)07時50分27秒
  廃発砲スチロ−ル再生装置技術は、廃プラスチック減容処理装置及び方法は、廃プラスチック類を加熱、減容する熔融窯内で加熱減容した廃プラスチックを外周が二重構造の水冷式の圧縮プレスに入れ、急速に圧縮プレスし廃プラスチックが冷却固化する迄保持し、その後扉を開きプレスヘットが2段モ−ションして固化(ブロック)製品をプレスから排出する。

この装置は圧縮プレスで所定の寸法に成型ブロック(固化)しますので多少異物が(紙布等)混入して固化しますのでバインダ−として機能し製品全体が均一の強固化物か得られ搬送等に便利に扱えられます。

熱風発生装置は石油バ−ナ−で熱風を発生し熔融窯に送り窯内の廃プラスチックは窯内部に付着しない様台風と同じ回転方向に回し廃プラスチックが溶着できる温度まで上昇させる。窯内は熱伝対で温度管理し最適の状態になった時を認識して、廃プラスチックは底扉を開き排出する。

非常用に廃プラスチックが排出せず詰まった時は上部から排出シリンダ−で強制的に排出させる。

又窯内部が発火しない様に排気は循環式で酸素の量を最小に制御し酸けつ状態にして温度を管理する。

万一揮発物等が混入し発火した場合は非常用に備えた窯上部の水噴射装置で素早く自動的に噴射し消化する。



実用新案登録証

廃プラスチックの成型処理装置

登 録 第2029240号 考 案 者  福田 恵万

平成6年8月4日

特 許 庁 長 官 高 島  章
装置説明切出しコンベヤ−

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