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ちょんまげのはじまり

 投稿者:エブリ  投稿日:2009年10月 6日(火)14時55分21秒
  今や力士くらいしか「ちょんまげ」の人はいませんが、江戸時代以前はちょんまげといえば、日本男児の基本スタイル。でも、ちょんまげは西洋人から見ると、相当ヘンなものだったようで、「日本人はなぜ頭にピストルを載せとるのだ?」などと言われたとか。

しかし不思議なのは、なんでそんなヘンな頭が定着したのかってことですね。いつの間にか流行するような髪形でもないだろうし。
ちゃんとありましたちょんまげ流行の理由。


■至極合理的なはじまり

日本の髪型の変遷を見ていくと、ちょんまげが広く浸透するのは鎌倉時代からだそうです。言われてみれば、平安貴族とかはちょんまげじゃないですね(月代がない)。束ねてしばる感じでしょうか。

なぜ鎌倉時代なのかというと、ずばりそれは武士の世の中になったというのが大きな理由です。

武士といえば、合戦で活躍するヤツラ。合戦といえば、あの重たい甲冑を身に着けないと、危なくて戦えません。当然ながら兜もかぶる…。←ココ!ココ重要!

えー、つまりですね、兜かぶると頭がムレるでしょ。時代も時代ですし、通気性なんか気にしてたら、一番大事な防御力を失うことにもなりかねません。そこで、とりあえず兜の方は防御力第一。

そうすると、やっぱり頭の方をなんとかしないといけません。そこで武士の皆さんが考えたのは…
「髪…剃っちゃえばよくね?」

確かに髪がなければそんなにムレないかも。
ってなわけで、髪を剃っちゃったので、それが月代になりました。そして、残りの髪は今までどおり束ねてしばる。これでちょんまげ完成というわけです。「ムレるなら失くす!」…うーむ、なんとも合理的な判断ですね。


時代の変遷と共に、多少は変化しますが、基本スタイルとなったちょんまげ。当時は当然のごとく、なんてことはない髪型なわけですが、現代でちょんまげを結ったら世間様の話題になれる!間違いない!

http://blog.livedoor.jp/zuihitu/archives/51140537.html

 
 

「蚊取線香」の歴史

 投稿者:ミナガワ  投稿日:2009年 7月30日(木)14時31分8秒
  夏の夕暮れ時、どこからともなく漂ってくる蚊取線香の香り。でも、この蚊取線香っていつからあるの? 世界で初めて蚊取線香を発明したKINCHOの広報にお話を伺った。

「蚊取線香が誕生したのは明治23年。当時は今のような渦巻き型ではなく棒状だったのですが、それだと折れやすいうえに40分しかもたなかったため、もっといい形はないかと研究を重ねていました。その際、弊社の創業者である上山英一郎の奥様が渦巻き型を提案し、それをきっかけにこの形が生まれ、現在では7時間もつように。今では、欧米やアジア諸国でも渦巻き型のものが使われているんです」。

蚊取線香は世界の夏の風物詩だったなんて驚き!

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=913967&media_id=29&m=2&ref=news%3Aright%3Anoteworthy

 

カラスは「アホー」

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2009年 4月16日(木)08時34分41秒
  カラスは「アホー」かぁ 鳴き声複雑、東西差なさそう


カラス研究で知られる宇都宮大農学部教授の杉田昭栄さんによると、ハシブトガラスの鳴き声は、「威嚇」「求愛」などを示す41種類。豊富な「語彙」を可能にしている秘密は、カラスの「鳴管」にある。人間の声帯にあたるが、カラスでは筋肉や神経が複雑にくっついていて、ほかの鳥より微妙な動きができるそうだ。
 カラスの声を研究する同大修士2年の塚原直樹さんに聞いた。「『アオア』とか『アーアー』なら聞きますが、『アホー』はありませんね」
「ホーホケキョ」というウグイスのさえずりは、小笠原では「ジーコ」になる。「でも関東・関西で違いがあるかは不明だし、フクロウやハトなど、単純な鳴き声の鳥は地域差はあまりない。カラスもないでしょう」
「江戸時代から、カラスの鳴き声は『アホー』とされてますよ」と擬音語・擬態語に詳しい埼玉大学教授の山口仲美さん。江戸中期の作家、近松門左衛門の浄瑠璃「用明天皇職人鑑」にはすでに「あほうがらす」という言葉が登場。同後期の戯作者、山東京伝の「繁千話」でも、主人公がカラスに「アホウ、アホウ」とからかわれているのだ。
 近松は上方、京伝は江戸。「最初は関西中心に、鳴き声を『アホウ』と表現するようになり、それが江戸にも広まったのでしょう」。文学の世界では、関東でもカラスは「アホー」と鳴いていたのだ。
 杉田さんも「カラスが『オハヨウ』と鳴くという人も。同じ鳴き声でも前向きな人はあいさつしたと思い、そうでないと『バカにされた』と怒ってしまうのでは

http://219.121.16.30/blog/archives/001400.html

 

苗字の成り立ち

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2009年 4月 9日(木)17時32分45秒
  氏・姓
苗字は最初からあったわけではなく、古くは氏(うじ)・姓(かばね) というものが使われていました。この氏姓制度は大化の改新以前、 大和朝廷により導入されました。この氏・姓というものは現代にお ける氏名・姓名とは意味合いが違います。氏は元は共通の祖先を持 つ血の繋がりのある人たちのことを示す言葉でしたが、後に支配され る側の人という意味も持つようになりました。そして姓とはその人の 職業や家柄のことを意味します。姓には以下のようなものがあります。

臣(おみ)
大臣(おおおみ) 天皇家の血筋の氏族の姓、蘇我・葛城等の豪族に与えられた。
大臣とはその中でも特に力の強かったものに与えられる姓。
連(むらじ)
大連(おおむらじ) 天皇家とは血筋が違うが、日本の神話に出てくる神々の末裔 (まつえい)だといわれている氏族の姓。物部・中臣等の豪族に与 えられた。大連はその中でも特に力の強かったものに与えられる 姓。
造(みやつこ) 品部・子代・名代等の職業の頭に与えられる姓。
首(おびと) 地方の村の長に与えられる姓。

この氏姓制度とは大和朝廷が諸国の豪族等を支配し、整えられた国家を 作る為に生み出されたものです。支配体制を分かりやすくしたいという 必要に応じて作られたのが氏・姓の始まりなのです。


苗字
苗字というものが使われ始めたのは荘園制度が出来た8世紀頃のことです。 荘園制度によって土地を持つ名主は、ここは自分の領地だと明確にするた めに土地に名前を付けました。名前を付けられた土地を名田と言い、 後にこの土地の名を家名として用いるようになりました。これが苗字の始ま りです。

天皇に与えられる氏とは違い名前は自由につけてよかったのでこの時代から 一気に苗字の種類が増えたようです。しかし苗字が使われるようになったと いっても氏・姓が無くなったというわけではありません。氏・姓は家柄や職業 を示す大事なものとしてその後も使われ続けました。 例えば徳川家康の場合は、源朝臣徳川次郎三郎家康が
正式な名称で、

源 朝臣 徳川次郎三郎 家康
氏 姓 苗字 本名

となります。ややこしいですがこのように氏・姓・苗字は全て別のものとして 使われていました。氏や姓は次第に必要性がなくなり時代とともに消えて行き、 今のように苗字と名前という形式に変わって行きました。
全ての人に苗字を
苗字を名乗ることが出来たのは武士や貴族等の一部の人たちだけでした。と 言っても非公式にこっそりと苗字を使っていた農民や商人もいたようです。 とにかく公式に名乗れたのは武士や貴族だけでした。江戸時代末で苗字を公称 していた人口は約120万人。総人口3300万人のうちのたった3.6%でした。

そして明治3年、明治政府が平民苗字許可令を出しました。これはその 名の通り平民も苗字を名乗ってもよいというものです。ただ当時の国民は明治 政府を余り信用してなかったようで、苗字をつけるとその分税金も一杯取られ るのではないかと警戒して安易に苗字をつけなかったようです。

しかし明治8年、 平民苗字必称義務令が出されました。つまり苗字を名乗ることが義務付 けられたのです。義務とあれば名乗らないわけにはいきませんので国民も苗字 をつけることにしたのですが、非公式に苗字を使ってきた家はともかく、これ まで苗字が無いのが当たり前だった人たちにしてみれば何と名乗ればいいのか 思いつきませんでした。ですので単純に川の上流の方に住んでいるから「川上」、 山に田んぼがあるから「山田」とか適当に苗字をつける人も多かったようです。 自由に苗字をつけてよかったのでこの時に色々面白い苗字も生まれました。 稀少姓のページでも珍しい苗字 を幾つか紹介してますのでそちらも興味がありましたらご覧になって下さい。

http://nakimiso.hp.infoseek.co.jp/

 

時計はどうして右回り?

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2009年 4月 8日(水)08時24分55秒
  よく順番を決めるときに「時計回りで」といいます。この時計回り、時計の

針の動きと同じ右回りのことをいうのですが、そもそもなぜ時計は右回りな

のでしょうか。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/7515/TXT/000-2000_10/001010.htm



時計の歴史は古く、最初の時計は紀元前4000~3000年にエジプトで

用いられた日時計といわれています。みなさん既にご存知の通り、太陽は東

から昇って南を通り西へ沈みます。日時計はこの太陽が作り出した影の位置

によって時刻が決まります。つまり、太陽や影が右回りに移動する為、時計

回りとは右回りということになります。



しかし、これは北半球での話。南半球では逆になります。太陽も東から昇り

北を通って西に沈みます。当然影も太陽の動きに従います。こちらは左回り

ということになります。そう考えると、左回りの時計もあっていいのではと

思われます。時計回りを決定的にしたのは、北半球の方が文明的に進んでい

たからです。四大文明といわれる当時としてはかなり発達した文明は全て北

半球で起きています。もし南半球で発達した文明があったとしたら、左回り

の時計があったかもしれません。
 

アイシャドー

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 7月13日(金)08時34分13秒
  アイシャドー(eye shadow)は目の周りに陰影を付け、顔に立体感を出すためのメイク法。さまざまな色や素材のアイシャドーがあるが、その起源は単なる装飾ではなくもっと実用的な意味があったと言われている。

アイシャドーの起源とされるのは5000年ほど前の古代エジプト。クレオパトラを始め当時の様子を描いた壁画には、目の周りに強い陰影を付けた人々が多く登場する。これはマラカイト(孔雀石)を細かくすりつぶした深いグリーンの顔料で、殺虫・殺菌作用のあるマラカイトで眼病を予防していたのである。

というのも、日差しの強いエジプトではメマトイというハエの一種が人間の目から出る分泌液・水分を求めて集まり、時には卵を産みつけるため、眼病が多かったのである。マラカイトを塗ることによる虫除け、これにより目元が美しく見えることに注目し、後に女性のメイクへと変わったというわけ。

http://www.jubako.com/

 

戦艦陸奥

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 6月19日(火)08時38分34秒
  大正10年、「陸奥」はワシントン軍縮会議開催中に竣工、米英は「陸奥」の廃棄をせまったが、譲歩の末に存続が決定。当時40センチ砲を装備した戦艦は世界中でも「陸奥」と姉妹艦の「長門」のみであった。昭和9年から11年にかけて近代化改装工事が行われている。

太平洋戦争の開戦時は第一艦隊第一戦隊に所属し、連合艦隊の主力部隊として柱島沖の停泊地に繋留。初陣は昭和17年のミッドウエイ海戦であったが、直接戦闘は交えなかった。

昭和17年7月、「武蔵」の完成に伴い「長門」とともに第二戦隊に編入、ソロモン作戦支援部隊としてトラック島に進出。

昭和18年1月、横須賀に帰港して修理の後、柱島泊地に回航されて訓練に励んだ。

謎の爆沈

昭和18年6月8日12:10、柱島泊地の繋留中の「陸奥」は、第三砲塔付近から突然白煙を吹き上げ火薬庫が大爆発を起こした。艦体は切断され、その巨体は瞬時にして海中に没した。

艦内には1,474名の乗組員がいたが救助されたのは僅か353名に過ぎず、1,121名が艦と運命を共にした。

原因調査の為に査問委員会が設置され放火とほぼ断定されたが、決手に欠ける曖昧な結論を提出して二ヶ月後に解散。真相は究明されないまま今日に至っている。

二十七年後の引き揚げ

昭和45年 7月23日、陸奥の第四砲塔が27年振りに太陽の光を浴びた。遺族にとっては陸奥の海底での歳月がそのまま自分の歴史でも有った。

砲塔に遺骨の有る可能性は低い。しかし亡き夫が、父が、そして愛し子が精魂込めて手入れした遺品であった。今その遺品が目の前に有る。遺族の口から嗚咽が漏れた。

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/ren-mutu.htm

 

時代劇に出てくる「影腹」について

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 6月15日(金)16時31分24秒
  影腹は、腹を切りませんし刺しもしません。
切腹する格好だけすることを影腹と言います。

子供が切腹するはめになったりした時は、影腹だけして、介錯人が首を斬って殺します。
介錯人がいる場合は大人でも影腹ですませた場合もあるようです。
また、真面目な武士は毎朝影腹をして、命を賭して勤める覚悟をしていたそうです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311873798

 

誕生日スタイル

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 5月 9日(水)07時56分58秒
  誕生日には大きなバースデーケーキを用意し、年齢の数だけロウソクを立てる。若干個人差(家庭差?)もあるが、部屋を真っ暗にしてロウソクの火を一息で消せば願い事が叶うなんていうふうにも言われる。そしてプレゼントを渡す。この定番のスタイルはどこで生まれたのか。

まずバースデーケーキの由来は古代ギリシャ。月と狩猟の女神アルテミスを祭る儀式において半月型のハチミツケーキやパンを並べて祝ったという。また古代ローマでは50歳を祝う時に小麦粉などで作られたハチミツケーキが出されたのだという。

現在のような形に近いのは13世紀頃のドイツ。農民の間で子供たちの誕生日を祝うキンダーフェスト(Kinderfest)という風習があり、バースデーケーキの上に子供の年齢と同じ数、あるいはもう1本プラスして、朝から夕食時まで灯し続けたというもの。吹き消す由来はハッキリしないが、昔からロウソクの火は神聖で霊力の宿るものとされ、消したあとの煙が願いを神様に届けてくれるというふうに信じられていたとも…。

http://www.jubako.com/

 

ホッブルコーラ

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 4月23日(月)11時45分24秒
  今どきのコカコーラと言えばペットボトルや缶容器が主流だが、昔ながらの瓶も人気がある。他の瓶とは違う「くびれ」のある特徴的なデザインは美しい形の代表としてよく取り上げられる。

元々コカコーラの瓶はストレートサイドボトルと呼ばれる、いわゆる普通の形のものだったが、瓶詰めするボトラーによって微妙にデザインが違っていた。そこで1913年全米でデザインを統一しようということで数社に開発を依頼、ルートガラス社のアレキサンダー・サミエルソンがデザインした「ホッブルスカートボトル」が採用され、これが大ヒットしたのである。

ホッブルスカート(hobble skirt)は当時流行っていたスカートで、ウエストがぎゅっと細くヒップを強調、裾もまた細くなっている。サミエルソンはこの女性的な形にヒントを得たというわけ。ちなみに彼はコカコーラ社から権利金として"当時の金額で"約18億円を手にしたのだとか。

http://www.jubako.com/

 

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