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元気ですか?

 投稿者:菱刈直子  投稿日:2019年 8月13日(火)09時03分52秒
  お送ってみたものの迷惑メールと判断されたようです。
どうすれば良いのか分からないのでもう一度連絡先をURLとして送ってみます。
節子の目にこのメールが触れることを祈って。
直子
 
 

Sekkoさま

 投稿者:小寄道  投稿日:2019年 7月22日(月)05時55分29秒
  ご鄭重なるコメントをいただき恐縮しております。
まず、れいわ新選組の重度障碍者の二議席獲得は、ほんとうに画期的であり、今後様々な議論を呼ぶこと必至です。
障碍者、性的マイノリティの方々への差別意識、その日本人の意識構造に必ずや一石を投ずるでしょう。
この点では「れいわ新選組」の存在は、社会的・政治的な意味合いが大きいですし、小生は期待してやみません。
注目するところですが、党首が衆議院選挙で敗退したら、ちょっと危うい・・この辺にしておきます。
個人的には「れいわ」の安冨歩さんを押していたんですけど・・。

今回の参院選は事前に予測し、個人的に、その結果の趨勢は分かっていました。
もしかしたら、憲法改正を改悪する2/3議席を与党が占める勢いが見込められ、小生はすこし不貞腐れてもいました。ブログでは、そんな心情を吐露しました。
(自衛隊の明記ばかりではありません、事の次第では?)

ともかく、この国では、寄らば大樹の陰で生活することを望んでいる人ばかりなんですよ。
自分たちの暮らしが、世界的にみれば相対的な貧困は進むばかりであり、それぞれに何かを犠牲にしていることに気づかない。
若い人は特に謙虚というか、考え方そのものが大人しいです。
欲望が薄いのは、目標や目的を見失っているんじゃないか、と小生は勘繰ってしまうほどです。


故ヴァンサン・ランベールについてですが、竹下さんのブログを子細に読んでいなかったようです。
大変失礼なことであり、勝手な解釈で自分が好ましいと思うイメージを思い浮かべ、いわば「和解」という概念をいわば牽強付会のごとく使っていたかもしれません。謹んで陳謝いたします。
奥さんと母親(父も)との間で相克があり、しかも法廷の場においても長い間争われていたのでしたね。

「尊厳死」という評価も、ある種の宗教かつ政治的な力関係が及んだ争われ方の結果の、曖昧な要素を含んだものだった気がします。

ランベール氏が肉体的に健康体であったこと、この点を小生は重視していなかった。胃ろうしていた母のことを思い出し、変にイメージをダブらせて考えたかもしれません、今となれば。

生来の粗忽もので、筆が走り過ぎのところがあり、乱文がさらに読む方の誤解を招くことがあります。
(プラセボ効果のこと、他意はありません。卑下もしていません、正直なことを書いただけです)

拙ブログを読んでいただいていること、このくだりには嬉しくて感激の極みです。
ありがとうございます。
もし、谷中にいらしたときは、よろしかったらお声をかけていただきたいと存じます。
ぜひご案内したいと、その時は遠慮なくご一報ください。、心待ちにしております。

この度は、ご執筆の忙しいなか、小生のことでいろいろお気遣いくださり、まことに申しわけない気持ちでいっぱいです。いろいろと有難うございました。

毎度の乱文、重ねて申し訳なく存じ上げますと同時に、ご執筆に励まらんことを祈ります。
小寄道拝

 
 

小寄道さま

 投稿者:Sekko  投稿日:2019年 7月22日(月)02時46分1秒
  仕事が詰まっているのに、参院選の結果をずっとフォローしていて後悔しているところです。
れいわ新選組から重度障碍者を二議席という奇策は、実現すると、確かに「画期」的だなあと思います。
「生産性」議論はおろか、「尊厳」議論にも大きな問いを投げかけることでしょう。

ヴァンサン・ランベールの個々のケースについては、私としてはブログに書いたように、自分を愛してくれている人たちが和解できることを優先するという選択に落ち着きます。(今回のヴァンサンの場合は和解したのではなく、母親側が諦めて受け入れたというだけです。だから遺恨は残ったでしょうし、残念ながら彼が悦びに満ちて天に召された、とは思えません。)

フランスは尊厳死の認められ方は曖昧で、今回も、栄養を断って衰弱死させたことで、苦しませた、医療麻薬か何かによる安楽死なら安らかに逝けたのに、という議論もありました。
尊厳は生命そのものに宿るもので、障碍の有無だとか自立度とは関係がないと私は思います。(といっても、例えばある種の医学者が自分たちのパフォーマンスのために、本来なら生きていけないものを無理やりに延命するというのは問題外ですが。)(そして私個人の場合は、尊厳も生産性も関係なく、私に近く私を愛してくれる人たちが互いに納得してくれるならどうしてくれてもいいですよ、途中で方針を変えてもいいですよ、という感じです。何かもう魂が体から抜けて別のことを始めている気がします。)

最近のブログで「プラセボ効果さえ無知なる小生」などと卑下なされていましたが、私の勝手な言葉遣いのせいでそんなことおっしゃらないでください。マダガスカルにまつわる話で、若者との関係などの考えを深めさせてくださったのは小寄道さんです。ブログも楽しみに読ませていただいています。

秋には朝倉彫塑館に行こうと楽しみにしているんですよ。(谷中には知り合いの「谷中猫町カフェ29」(今は閉店したそうです)に行ったのがもう6年くらい前です。その前はパントマイムのヨネヤマママコさんとお食事に行き、久しぶりに見た和式トイレのあまりにもの清潔さに驚いたのを覚えていますが、朝倉彫塑館のこととか全然知りませんでした。小寄道さんのおかげです。)どんどん発信をお続けください!!

http://www.setukotakeshita.com/

 

ヴァンサンの死

 投稿者:小寄道  投稿日:2019年 7月21日(日)05時03分10秒
  眠れない夜にふと、Sekkoさんの記事を拝読しました。
なんというか、ある種の思考停止というか、「死」を考える回路がいったんリセットされたように感じました。
フランスもやはり、「尊厳死」は法的に認められているのですね。

ブログを拝読するだけで、何も語る資格がない身ですが、ヴァンサン・ランベールの死は、現代の死の、或る到達点を見る思いです。

まず、私は「彼の御心のままにしたがう」ことをイメージしました。
次に、それを引き継ぐものは、彼を最も愛した人にゆだねるべきだと思いました。
それは、伴侶か母親なのか・・。

Sekkoさまは「和解」というキー・フレーズをあげていますね。
それがあったのでしょうね。
志賀直哉の小説にもありましたが、実はもっともエネルギーを要するパッシブな力です。

ヴァンサンも悦びに満ちて、天に召された思います。

他者の死と、自分の死を・・。
言葉の選択が不適切ですが、「比較考量」するように死を考えました。
思考停止のちに深い思索が訪れる、そんな不思議な感慨をおぼえた次第です。

ありがとうございました。想念のままに、書き込みました。乱筆失礼。
 

偽薬

 投稿者:sekko  投稿日:2019年 7月16日(火)15時36分12秒
  yahoo の検索で
偽薬wiki
と入れてください。
下のリンクはなぜかバグってるようなので。

http://www.setukotakeshita.com/

 

プラセボとノセボ

 投稿者:sekko  投稿日:2019年 7月16日(火)15時28分23秒
  すみません。ごく普通に使われている言葉だと思っていました。
英語ならプラシーボで、一応日本語でどう書かれているかネットで検索してから書いたのですが…
このwikiの項目にノセボも載っています。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/偽薬

http://www.setukotakeshita.com/

 

あれ?

 投稿者:小寄道  投稿日:2019年 7月16日(火)14時06分54秒
  プラセボ効果、ノセボ効果とは何ぞや?
で、貼り付けてあるリンク先をクリックすると、Sekkoさまのトップページにしか行きません。
該当する頁のアドレス?っていいましたっけ、そのリンク先をコピペしてください。

 

ノセーボ効果

 投稿者:sekko  投稿日:2019年 7月16日(火)05時17分57秒
  「幼子と神」というのは聖書の次の部分を念頭に置いたものです。

イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。
しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」( ルカによる福音書18, 15-17)

知識や経験が役に立たないような環境に急に置かれた時、パニックになって、引きこもって自滅するか、子供のように、そばにいる人を信頼してともに進もうとするか、それによって運命は変わってくるなあと思います。Bちゃんにそれが素直にできたのは、幸せな家庭環境に恵まれている子供だからでもあるでしょう。世には、虐待の連鎖、家庭内暴力の連鎖というものもありますが、そういう不幸を経験した人はそれこそ、大人として、それを断ち切る意思を持って実行できるように、周囲も社会も見守り支えていける世界でありたいですね。

「トラウマの逆」を考える時、プラセボ効果の逆のノセボ効果のことを考えてしまいます。偽薬でも副作用が出たり、また本当に効くはずの薬でも、効かないと信じて飲めば、効果がブロックされるという現象です。

まあ、どんな経験もあまりにもいい方に編集してしまうと、いざ、その美化に耐えられない現実に出会うとそれを否認してしまうというねじれも起きるのでは、と懸念してしまう老婆心も沸き起こる素直でない私ですが…。(神の国にはとてもはいれません…)

http://www.setukotakeshita.com/

 

Sekkoさま

 投稿者:小寄道  投稿日:2019年 7月16日(火)03時24分15秒
  {新生児が傍で助けてくれるはずの母親やそれに類する人に全てをゆだねるしかサバイバルの方法はないのと同じような気がします。}

人間は自然の一部であるとして、「新生児」が本来そなわっている庇護される力、先験的に持っているサバイバルの本能!
このSekkoさまが提示したコンセプトから、小生の頭の中で、めくるめくイメージが噴出してきました。

まず狼が人間の赤ちゃんを育てる話が蘇ってきましたし、対立関係にあった民族同士でも、敵の赤ん坊を大切に育てるストーリーとか・・。
経験・知識もない新生児は、その存在が庇護されるように自然のシステムに組み込まれているのだろうか。
など、様々な想念が浮かび、人間の存在というものが、なにか自然の脅威や得体のしれない邪悪さから守られる。そんなイメージに収斂できました。
「幼子と神」の関係については、小生詳らかにしませんが、乳幼児は本能的に生き抜いていく力が備わっていると信じていいのでしょう。(ここでは虐待についてはふれません)

Sekkoさまの文章を読みながら、なにか心が満たされていく、幸せな気分にもなっています。

{「トラウマ」の逆方向で、「幸運な体験をプラスのバイアスとして心に刻む」という感じで前に進むのです。}

これって凄い精神医学的な概念だと思います。アメリカの脳科学者に研究してほしい、新たな分野だと思いますね。
「素敵な啓示」とは、あまり適切でない言葉の使い方かもしれませんが、とにかく上質な文学の短編を読んだ気分に浸れました。

Bちゃんさんは、そうですね、あまり深く訊くのはやめて、彼女自身の経験として、自ら考えてもらいましょう。
長い人生の中で、少しずつ少しずつ、「トラウマ」の逆方向で醸成してほしいと思います。
ありがとうございました。
 

小寄道さま

 投稿者:Sekko  投稿日:2019年 7月15日(月)19時40分30秒
  小寄道さまの共感能力の高さに脱帽です。

今週末にもBちゃんのレッスンがあるので、ではもう少し聞いてみようかな、とも一瞬思いましたが、多分、今の彼女には、このブログの記事で私が書いたもの以上の言語化は難しいのではないかと思います。

で、私があらためて思うのは、普通、私たちが目の前にいる知らない人を信頼するかどうかは、その時の状況を把握して、知識と経験から割り出すということです。

けれども、マダガスカルのBちゃんのような状況では、それに対応できるような知識も経験もないので、一人では完全に無力だから、生き延びるには全面的な信頼しかありません。
いってみれば、新生児が傍で助けてくれるはずの母親やそれに類する人に全てをゆだねるしかサバイバルの方法はないのと同じような気がします。

そして、信じなければ即、死の危険。
信じれば、危険もあるけれど助けてもらうチャンスもある。

また、多分、助けてくれる信頼に足る人に会う確率の方が絶対に高いという社会進化論的な面が期待できるでしょう。
自然そのものに脅威のある世界では、人間に対して「悪意」を抱くようなタイプの人は長い間に淘汰されて、助け合うタイプの人が、地元民、移民にかかわらず多く住んでいることになると思うからです。

先進国の都会の方が、他人を出し抜いたり騙したりして生き残る人がずっと多くなっているでしょうから、「無条件な信頼」は「理想」か「お花畑」になるのでしょう。

で、Bちゃんは、都会で身につけた「誰を信頼すべきか」という知識や経験が完全に無化され、また一人でやっていくことも不可能な環境で、「幼子と神」の関係のような体験をして、それが「運よく」「成功」したわけです。

私のような素直でない人間なら、
「それでも次も必ずうまくいくとは限らない、もうこんな冒険はこりごりだ」
とか
「他の人が私のようなチャンスに恵まれるとは保証できないから、気軽にお勧めするのは責任問題にもなるから慎もう」
とか考えるかもしれません。

でも、やはり素直でない見方をするなら、Bちゃんには一種の心理的な防衛機制が働いて、自分の選択と成功体験を普遍化するという肯定的な見方になっているのでしょう。
いわゆる「トラウマ」の逆方向で、「幸運な体験をプラスのバイアスとして心に刻む」という感じで前に進むのです。

実際、今の彼女はもうすっかり、パリでのバイト生活とピアノの新曲の練習に夢中になって、8月末の数回目のロンドン行きや新学期のことで期待を膨らませているようで、その「若さ」からこちらも力をもらえます。、

私の方は知識や経験や思考の試行錯誤の脳内ネットワークがもうぐだぐたに繋がり合ってしまっているので、その坩堝にこのマダガスカルの貴重な情報を投入して、別の意味で若い彼女らの信頼に応えることにつなげたいと思っています。
小寄道さまのご指摘がそれをひと押ししてくれました。

ありがとうございます。


http://www.setukotakeshita.com/

 

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